翠玉の君、祈りし世界
□翠玉と操影術
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(sideレオナルド)
シグレさんが遠征からライブラに戻って来て数日が経った。
あれからシグレさんについて分かったことがいくつかある。
まず、シグレさんはジャパニーズとアメリカンのハーフだということ。(名前が日本名なのに翠玉の瞳が生まれつきなのは、そういうことだからだろう)
それと、シグレさんはもともと崩落以前からアメリカにいたようで、日本語より英語が得意なんだとか。
「おはようございまーす」
「おはよーさん」
事務所の扉を開けると、シグレさんが軽く手をあげて挨拶をしてくれる。
「今日もですか」
「んんー?まぁね」
僕に目もくれず、ただひたすら机に積み上げられた大量の本と紙束の資料に目を通しながら忙しなくPCのキーボードをカタカタと鳴らすシグレさん。
ここ半月ほど、シグレさんのデスク上は勿論、その周りの床にまで本と資料が隙間もなく散乱している。
シグレさんは毎日それらをパラパラとめくり、ひたすら目を通している。
「ん?少年、そんなところで立ち止まってどうした?」
「いや、あの…シグレさん、ここ数日間ずっとあの状態ですけど、大丈夫なんですか?」
「ああ、いいんだよ。あれが仕事だから」
「…?はぁ」
「シグレには不在の間にたまりにたまった資料をまとめてもらってるんだ」
「…は?あの量全部ですか?」
「勿論。全部。ここで起きたことをできるだけ詳しく全てまとめてもらうようにしてるんだ。」
いやいや。待てよ。
ここはなんでもアリのワンダーランド、ヘルサレムズ・ロットだ。なにも起きない平穏な日々なんて夢のまた夢。喧騒こそが日常のこの街で、どこで今なにが起きてるかなんて数えてたらキリなんかありゃしない。それを全てまとめるなんて、一生休める気がしない。
スティーブンさんが冗談でこんなことを言うはずがない。信じがたいけれど、本当にシグレさんはこの異常な量の資料のまとめをこなしているんだろう。
「シグレ、どうだい調子は」
「んー?とりあえずあと1週間あれば不在中のやっぱり終わるかな。今日のぶんはまとめてよけといてよ」
「了解。頼りになるね、うちの記録係は」
「普段わがまま聞いてもらってるからね、この程度は喜んでやらせてもらうよ、番頭さん」
「記録係っ…て?」
イマイチ話に追いつけない僕に、スティーブンさんは少し呆れた顔を僕に向けた。
「少年は、このヘルサレムズ・ロットがいつまでここにあると思う?ずっとこのまま異世界(ビヨンド)達と仲良しこよしやっていくんだと思ってるのか?」
「あまり…考えたことなかったです」
「スティーブン、新入りをあまりいじめるのはよくないよ。レオは俺達みたいにもともとこういう仕事してたんじゃないだろ」
「ああ、すまない、そういうつもりじゃ…」
ピシャリとシグレさんから叱責の声が飛び、スティーブンさんは表情を崩す。少しうなだれたスティーブンさんを見て、シグレさんは手を止めて僕を見る。
「このヘンテコなヘルサレムズ・ロットは一夜にしてここ、ニューヨークに出現した。その話は勿論有名だよね?」
「はい」
「だとしたら、もし消える場合も一夜の可能性があるよね?」
「確かに…」
そう言われてみれば、そうかもしれない。一夜でできたのなら、一夜で消える。その可能性は十分にあることだ。
「でしょ?だからいつここがなくなってしまっても、起きた出来事とか活動記録を残しておけば、いつか役に立つかもしれない、と思って。俺がこうやって記録係してるんだ」
「なるほど…でも、起きたことをいちいち記録してたら、キリがなくないですか?」
「慣れれば平気。さすがに全てってのは言い過ぎだから、あくまでもメインは俺達ライブラの活動記録って感じ」
「最初は数人でやってた仕事だけど、シグレはライブラで1番これを作るのが早かったからなー。雑務に見えるかもしれないけど難しいんだぜ、一個一個わかりやすくまとめるのって」
「よせよスティーブン、そんな褒めても出るものないからな」
翠玉を煌めかせながら、シグレさんは照れと呆れを混ぜたような顔で笑った。
「まぁとりあえずそんな感じで、俺はHここで起きたことや情報を叩き込んで、少しでも仕事が円滑に進む手助けをしてるんだ。と言ってもほとんどが力と力の戦いだし、俺の情報を使うことなんてそんなにないけどね」
笑った顔がまるで太陽みたいに明るくて、ちょっと僕にはまだ眩しい。
シグレさんが帰ってきてからどこかライブラには落ち着いた、和やかな雰囲気がただよい、みんなの笑顔が増えた。
シグレさんはまだ資料整理が終わらず、僕たちが外に行っている間は事務所で待機をすることが多い。けれど、僕たちが帰ってきた時には笑顔で「おかえり」と出迎えてくれて、ギルベルトさんと一緒にお茶を入れてくれる。
そうすると、血生臭い嫌な仕事のあとも、不思議と皆が笑顔になる。だからシグレさんは、太陽みたいな人だと思う。
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