白い天球儀3

□一瞬で五題
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一瞬で5題
milk_odai

【目を奪われた】

私には真似のできない。

奏でて紡ぎ出されるその音に囚われる。

生まれては流れ行く音を眺めている感覚。

彼の笛の音はそんな形容が当てはまる。
節張った指が流れるように動く様も、曲に身を任せて感情を乗せている表情も。
全てで人を惹き付ける。

私にとって彼が曲を奏でる様は極上の甘い果実酒に似ていて、心地よく酔ってしまう。

「…方淵?」

静寂とともに現実を呼び寄せる彼の声。

「いや…」

心ごと目を奪われていた。

この極上の音楽を独り占め出来るのは、やはり贅沢なのだろう。

end
20101003



【今唇に触れたのは】

「痛っ…」
「方淵?」
「…いや、大事ない」

紙で薄皮一枚を切った。

軽く止血していると、どうしたんだい?と水月が覗きこんでくる。
視線の先には人差し指の薄い傷の上に小さな血の珠が乗っていた。

「紙で切っただけだ。舐めておけば治るだろう」

何気無く言った言葉を、私はその後軽く後悔した。

「ふーん…」

そっと手を取られて、彼の唇に挟まれてしまう。呆気に取られていると、舌先が傷口をなぶり出し痛みが走った。

「馬鹿は止めろ、痛い」

その言葉に視線を絡めたので解放するかと思ったら更に舌の上に乗せられてしまう。少しザラリとした感触に艶かしさを感じて居たたまれなくなり、私は思わず「水月っ」と声を上げてしまった。

クスッとイタズラめいた笑みを溢してやっと指を解放した彼に呆れてしまう。

「舐めたら治るのだろう?手当てだよ、方淵」

クスクス笑いながらしれっとしている様に腹が立ってくる。

「あ…」
「?」
「まだ少しだけ、血の味がする」
「人の指を勝手に舐めるからだ」
「んー…、手当てしてあげたのにつれないね、ねえ」
「今度はなんだ」

すっと彼の顔が近づく。

「少し口直しをさせて」

甘えるように唇を押し当ててきたので、その柔らかさを少しだけ堪能した。

(口直しが欲しくなるほどに血の味がするのだろうか?)

しかし今触れている唇からは鉄錆びた味はせず、

先程まで一緒に頬張っていた甘い菓子の味がした。

end
20141003



【目を離した隙に】

「また帰ったのか!あいつはっ!」

今日までに欲しかった資料をまだ彼から受け取っていないのだ。
イライラしていると同僚が人の顔色を伺いながら声をかけてきた。

「…柳、これを氾から預かっていたのだが」
「なんだ………」
「先程、陛下と取り込んでいただろう。まだ猶予あるけど渡してて欲しいと頼まれてな」
「…チッ。また逃げやがったか」
「…ははは。じゃあ渡したからな」

とばっちりは御免だと言わんばかりに早々に同僚は去っていった。
欲しかった資料に、ついでと言わんばかりに添えられていた副資料を見て眉間に皺がよる。

此方が気付いていなかった箇所の資料だった。これがあれば不快に思っていた部分が解消されてありがたいとすら思ってしまう。

そんな風に私と違う見方をして要領よく手抜きをし同じ所にたどり着く。

資料を捲りながら思い返してみると、先程の別部署の失態で陛下のご機嫌が優れなかった時の彼の顔は青ざめて胡散臭い笑みをとることも忘れていたので、火の粉を被る前にさっさと逃げたと言ったところか。

(居たならば手伝わせるつもりだったというのに)

陛下との打ち合わせ中に一瞬彼と目が合ったが、瞬時にそれも読み取ったのかもしれん。

「………」

要領よく隙をついて逃げ、あの男が今頃悠々と茶を啜っているかもしれないと思うとまた苛ついてきた。

「…だからあいつは腹立たしいのだ」

end
20141002



【戸惑いの瞬間】

男であることを引け目に憂いを抱いて悲しげに笑って誤魔化そうとする。

初めは、私はそんなに頼りなく信用のない男だろうかと思って戸惑っていたが。

抱き締めて想いを伝えて憂いを拭うが、やはり不安は消えないのだろう。

私の好きな明るい色の柔らかな髪を撫でて、きめの細やかな頬に触れて、唇を塞ぐ。

私とて平気ではない。
女から見ては勿論、男から見ても美しく物腰柔らかな良家の長子を周りが放っておくわけはなく、心が漣立つことだとて少なくはない。

唇を重ねて、肌も重ねて、互いの気持ちも分かっているというのに。

こんな感情を抱いたことはなくて、もて余してしまうことだってある。
それを上回るように彼は不安を誤魔化して無理に微笑むから切なくなってしまうのだ。

だから私は引き寄せて抱き締める。

「水月」

私の月の名前を言葉にしながら。

end
20141002



【恋に落ちた】

この男は時々、素の状態で穏やかに微笑む。

その笑みはとても綺麗で触れることすら躊躇うような侵しがたいもののようにすら思うこともある。

美しい高貴な女性は数多といるけれど、そんな感情を抱いたことはない。

彼は普通に欲を持っておりそれなりに俗だと笑う。
そんなことは分かっている。名門氾家の長子が箱入りの訳がない。
長く見ているから、この男がそれなりにキツイ考え方を何事でもないように示すこともあるし、見た目に反して手段を選ばずにさらりと事を行うことだってあるのだ。

何を考えているか分からない胡散臭い笑みを張り付けている『氾家長子』ならばそのくらい行っても別に違和感はない。

だが、ただの『氾水月』が笑うと私の心臓は高鳴り呼吸をすることも忘れ、思考が停止してしまうのだ。

認めたくはないが…、

きっと、その瞬間に私は恋に落ちているのだろう。

end
20141002

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