□甘さに噎せる
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少しだけ、昔を振り返ろう。私は中学生時代、今考えてみると拙いとしか言いようのない恋をした。恋の相手は当時有名だったテニス部の「天才」と呼ばれる、四六時中黄色い声の中で微笑んでいるような人。ここまではよくある話だ。目立っている人物に惹かれるのは、若ければよくある話。

その頃の私は別段美人では勿論なかったし、地味とまではいかないけれど話題に上がるなんてことは決してない、普通という言葉が良く似合っていた中学生だったと思う。だから最初は信じることが出来なかった、意中の彼と付き合うことになっただなんて。というか完全に遊ばれているんだろうなぁなんて考えていた気がする。私は随分と失礼な奴だった様だ。





「なぁ、何をぼーっとしとるん?」

「…いや、なんだか疲れちゃって。」

「ああ、俺も。…あかん、疲れたっちゅーねん…」

「侑士は泣きすぎなのよ」




すっかり定位置になったソファーの隣に腰かけながら笑った彼を尻目に追憶を再開する。

その後、遊ばれてるだなんて杞憂に過ぎなかったことを突き付けるかのように幸せな時間がゆったりと流れた。高校に進学して、週末にはデートをして。くだらないことで何度も喧嘩したけれど不思議と別れることを考えたことはなかった。あっという間に受験生になって勉強に追われ、進路が決まったと思ったら卒業。大学ではお互い忙しかったけれど合間を縫ってよく遠出をした。

そうこうしてる内に社会人になって、仕事が落ち着いた頃にプロポーズを受けて私と彼は家族になった。結婚2年目には子宝にも恵まれて私達は晴れて父と母になって、手探りで子育てをしていく日々。娘が大きくなっていく姿を見るのは嬉しかったけれど同時に少し寂しくて、よく「子供が大きくなるのは早い」と会話を交わした。そして今日はそんな私達の愛娘の結婚式だったという訳だ。

幸せそうにウエディングドレスを纏う娘の隣には、穏やかな目の青年。挨拶に連れてきた時に夫が目を丸くして驚いていたことが記憶に新しい。確か、昔のテニス仲間の息子だったと言いながら少しだけ寂しそうに笑って、「あいつになら任せられる」と続けた。





「…なんだか今日は、眠れそうにないわ」

「そないなこと言ったって、もうええ時間やで?」

「わかってる。でもこう…なんだろ、余韻に浸ってたいの」

「…懐かし、自分それ俺らが結婚式挙げた夜にも言っとったわ」




自分ではもうそんなことは覚えていないけれど、彼が言うならそうなのだろう。そういう人なのだ。一緒にいる時間を大切に噛み締めてくれる。隣にいることが自然になっているから、きっといつかどちらかはどちらかの死を看取ることになるのだろう。結婚は人生の墓場などと言う人も多いけれど、彼だから私こそは今も変わらず幸せだ。





「ほんなら、今晩は久しぶりに夫婦で飲むってのは…どうや?」

「…良い考えね」

「ほな、決まりやな」





ソファーから立ち上がってキッチンへと歩いていく彼の背中を見る。思えば彼も私も随分と歳をとったものだ。最も、彼は今でもテニスを続けているから体型は維持している。だが元は伊達だった眼鏡に今はしっかり度が入っていることも、昔のような体力がなくなってきたと苦笑いでぼやく彼の姿も知っている。ゆったりと流れる時間の中でも若いままではいられないのだ。全ては変わっていく。





「…お待たせ、お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃんはやめてよ。私もう良い歳だもの、なんだか悲しくなる」

「どんだけ時間が経ったって、ずっと綺麗や…。本当に俺は幸せモンやな。これからはまた二人で、楽しくやっていこな…」

「…飲む前から酔ってるの?」

「…つれないわぁ」




隣に戻ってきた彼はテーブルに二人分のグラスと少しだけ高級なワインを置いた。そしていつの間にかぬいぐるみを抱えている。今日の結婚式の途中に貰った、娘の出生体重と同じ重さの熊ちゃんだ。大事そうに抱えこんでいるのは、彼が思い出を大切にする人だからなのだろう。




「乾杯しよか」

「…そうね。ああそうだ、私も…侑士と夫婦で、その、…幸せ、よ。」






(甘さに噎せる)





グラスを持ったまま固まる彼を見て、ああ、やってしまったと思った。予想通り「ほんま、可愛ええなぁ!愛しとるで!」とか何とか言って頬にキスをしてきたので、気恥ずかしくなって取り上げた熊ちゃんを抱きしめることにした。

甘ったるい笑顔は昔から何も変わらない。その笑顔に私がどれだけ幸せを貰っているのか、彼は知らないのだろう。



END



「彼と私は家族です。」様に提出!

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