短編6

□真っ赤に染まった全て
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うん、そういえばそうだった。頭の片隅にはしっかりと置いていたはずなのに彼がいつもまるでなにも抱えていないとでも言わんばかりに明るく笑うから、いつの間にか忘れかけていたようだ。それでも真実は残酷で、彼は盗賊なわけで、今目の前で行われた殺人の犯人は紛れもなく彼でしかありえない。


ああ、こんな時間に外出なんてするんじゃなかった。全てが闇に沈んだこの街は、私が知らなかっただけでもしかしたらこんな光景は日常茶飯事なのかもしれないと思うほど、全ては色を変えている。彼もまた例外ではないのかもしれない。そんなことをくるくる考える、妙に冷静な自分がどこか気持ちが悪かった。

真っ赤としか言いようのない、男の周囲に無遠慮に散らばる液体。もう動かなくなった男の手にはナイフが、月の光に反射して美しく光っている。







「……おい」







ジャリ、と。彼が近付いてくる音に心臓が跳ね上がるくらいの恐怖を覚えて背筋が凍った。よく考えなくてもひとつの仮説は容易に導き出せる。殺人を人に見られたとしたら、どうするかなんてそんな簡単なこと。まだ遠い。ちょうど満月は雲に隠れてしまったらしく彼の顔はまだ見えない。








「ローラン、サン…?」








やっとのことで搾り出した声は驚くくらいに震えていた。ああ、やっぱり私は所謂口封じという理由で殺されてしまうのだろうか。お約束で出来ている世界では救いなんて望めないのを私自自身が一番良く知っている。








「お前…見てたのか」

「……。」

「…なあ、何かが、止まらないんだ…」








助けてくれよ。そんな風に続いた彼の言葉の端々には隠そうともしない狂気が滲んでいる。普段とは全く違うその雰囲気に怖じけづいた私は今すぐにでも叫び声をあげて逃げ出してしまいたかったけど思うように声が出てくれない。足はすくんで動こうとしてくれない。そうこうしている内にローランサンが近付いてきて、私の眼前で歩みを止めた。

泣きたくなるくらいにはっきり見えているその表情は今までになく楽しそうで、口元の綺麗な弧は至る所に飛び散った返り血と相まって恐ろしいほど美しく見える。







「……や、」







ふいにスッと伸びてきた手が頬に当てられて、短い悲鳴が喉から出た。ぬめってした嫌な感覚はきっと彼の手についていた血によるものだろう。今、私の頬は見知らぬ男の血で赤く染まってちるに違いない。ああ、彼とおそろいだ。








「んっ…ふ…っ…!?」







殺される、とぐっと目をつぶった瞬間に奪われたのは命ではなく唇だった。何がなんだかわからないままに深く深く舌を絡めとられて呼吸すら忘れるほどに荒っぽく食まれていく。もはやそれは獣の補食を感じさせられるような野蛮さすら孕んでいたように思う。唇が離された後も銀色の糸が二人の唇を繋いでいた。








「何する、の」

「…あー…」







呼吸を整えた後、私の視界に入ってきたのはいつものローランサンの表情。バツが悪そうな顔で視線を反らして、「なにしてんだ、オレ…」だなんて呟いている。こっちの台詞だ、なんて呟けるわけもなく、かわりに恐怖で満たされていた体がついに崩れ落ちる。妙な話だが安心、したのかもしれない。







「悪い、お前の肌、汚した…」

「…うん」

「オレの家来い。イヴェールもいるけど、事情話せばわかるから。とりあえずずらかるぞ」

「…立てない」









事情ってどんな事情?ときこうとしてやめた。さっき、男の遺体がナイフを握っていたのを見た。だからきっと同業者かなにかにローランサンかイヴェールか、はたまたどちらもかは知らないが、命を狙われていたのだろう。それより問題は立てないことだ。








「…なあ、もっかい」

「な…っ!?」








立てないことを知ると、にやっと笑って再度唇を重ねてきた。さっきとは打って変わって、労るような繊細なキス。きっと彼は心のどこかで謝っているつもりなのだろう。馬鹿な男、と内心毒づきながらもローランサンにおんぶをされて家まで行って、イヴェールに目を丸くされる自分を想像するのは容易いから驚きだ。






(真っ赤に染まった全て)



ああ、きっとそうこうしている内に夜が更けて朝を迎えるのだろう。そしたらきっと全部が、また元通り。





END


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