豊玉発句集

□横に行足跡はなし朝の雪
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 日本橋に、紙を買いに行く。
 薬売りの手伝い程度で小遣いを稼いでいる歳三にとっては少々高い買い物だが、こればかりは何よりも優先してしまう。俳句好きは兄譲りときているから仕方ない。

「月並みだなぁ」

 と、いつも兄に馬鹿にされているものの、行商の途中や用事の先でふと思い浮かぶ。それを書き留めずにはいられないときているから、相当好きなのだろう。
 それでなければ、盲目の兄に少しでも季節を感じて欲しいという優しさの所以か。
 目的の品を買い求め、年の瀬の雰囲気を味わう如く日本橋をふらふら歩いている。昔、歳三が奉公していた場所からは程近いだけあって、慣れたものであった。目を瞑っても端から端まで店を言えてしまうくらい何度も歩いた道である。
 そんな中で、一人の女と目があった。歳三好みの小股の切れ上がったいい女である。普段なら一声かけようかと思案するところだったか、この女に関しては何故か危険な臭いを嗅ぎ付けた。
 何かが引っかかる。
 そう思っていると、女の方から近づいてきた。

「歳三さんかい?」

 女はじっと歳三を見つめる。
 適当な会瀬に任せた女は数知れずな歳三にとって、こうも思い出せない女とは、よほど昔に会ったのだろうか。それともよっぽどこの女が歳三好みに変わったのか。

「やっぱりそうだ、トシ坊だ。相変わらずのいい男だねぇ」

 トシ坊と呼ぶとなると、よっぽど幼い頃に会ったのだろう。全く琴線に触れないが、引っかかっているのも確かだ。
 二の句を告げずに立ち尽くす歳三に女が浴びせた次の言葉は、昔の記憶を思い出すのに十分だった。

「やだねぇ、初めての女を忘れちまったのかい?」

 初めての女――。

 その頃は初めてだとバレるのがイヤで、大人ぶっていた頃。

「お志麻さんか!」

 歳三が十七の頃、大伝馬町の太物問屋に奉公に行ったことがある。お志麻はそこで縫い子をしていて、若気の至りでいい仲になった女だ。

「いやぁ、見違えた。前にも増して色っぽく……」

 お志麻と歳三は、いい仲になったことが番頭にバレて、二人とも店を辞めさせられた。歳三は問答無用で追い出された。お志麻は長年の年季奉公から縫い子としての腕を買われていたので、これを期に独立となり、奉公先の仕事を中心に他の太物問屋からも仕事を分けてもらうようになった。
 二人は、奉公先で別れてから会っていない。お志麻は縫い物で暮らしを立てるのに一生懸命だったし、歳三は実家の薬売りを手伝い始めて、関八州を飛び回っていた。

「女手一つで切り盛りしてるんだ。色気も仕事のためだよ」

 そんなことを言いながら豪快に笑う姿に、歳三は、昔のお志麻を重ねてみた。豪快で、若手の縫い子の中では親分といった貫禄があったが、独立を期にその辺りが増しているのだろう。

「それにしても初めての女たぁ、ちとなぁ……」

 その頃歳三は、お志麻が初めてだとバレるのが恥ずかしく、見透かされないようにと思案していた。

「何を言ってるんだよ。そんなのハナからお見通しだったさ」

 と、また笑われた。
 このまま立ち話もナンだからと、

「そうだトシ坊、これから鋏を奮っておくれよ。年の瀬は何かと忙しくてね」

 と、お志麻に誘われた。
 刃物を使うのは何でも得意な歳三である。奉公先の女衆が目を見張る程の腕前だった。

「仕方ねぇ、姐さんの頼みは断れんな」

 別にこれといった用事があるわけではない。それと、ただ日本橋をフラフラしているよりは温かいだろう。そんな軽い気持ちと、初めての女への懐かしさも手伝い、歳三は、

「あぁ、いいよ」

 と、二つ返事でついていくことにした。
 何とかと鋏は使いようというが、歳三は刃物を扱わせると、どんなものでもコツを身につけてしまう。後に刀を持つようになるが、その頃暇な刻ができると、脇差しで爪を切っていたという逸話が残っているとかいないとか。
 基本的に手先の器用な男だ。太く節くれ立っているわけではない。指が長く掌も熱い。指先がよく反って、物を持つとまるで歳三のために誂えたように、なんでもすっと馴染んでしまう錯覚がおきる。野良仕事嫌いだから百姓の手でもないし、だからといって剣術に没頭しているわけでもないので武士の手でもない。
 お志麻の家にたどり着くと、さっそくそんな『歳三の手』で布を裁つ。その横で、お志麻もせっせと針を動かす。
 二人とも手を動かしながら、昔の知り合いの話に花が咲いた。
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