豊玉発句集

□あばらやに寝てひてさむし春の月
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 どうしてこうなってしまったのだろう?

 俺は今、神社の社屋で寝転がっている。
 確かに今日は朝からツイてなかった。
 総司と稽古をしていたら、全くいい所がなかった。ぼうっとしていたわけではないのに、ポンポンと決められる。
 昼飯で食ったウナギと梅干は食い合わせが悪かった。美味かったので迷信だと勢いよく食っていたら、腹を痛くした。
 そんなついていない一日は、おとなしくしているのに限る。
 そう決め込んで部屋でごろごろしていると、吉原から文が来た。火炎玉屋の花魁、黛からだ。
 久々に貰った文で浮き足立ったのか、今日はついていないということも忘れて文の指示に従った。
 最近ご無沙汰なもんだから来るようにとの内容だったのでヒョコヒョコ出向いてみたら、墨田堤で武士の集団に襲われた。伊庭の小天狗が助けに入ってくれたので、なんとか難を逃れてこの有り様だ。駆け込んだ社屋は襖が破れていて、隙間風が吹き込んでいた。

「歳さん、とんだ災難だったなぁ」

 呑気な小天狗は何事もなかったように話しかける。

「あぁ全くだ」

 本当に散々だ。今日は本当にツイてない。

「寿司でも食おうと考えて神田をフラフラしてたら、あんたの噂を聞いてね。慌てて飛んできたンだけど、間に合って良かったよ」

 どうやら俺が受け取った文は罠のようだ。黛花魁に執着している某という武士は、江戸詰めの偉い奴だという噂を聞いたことがある。黛ほどの花魁を相手にするような男だ。よほどの酔狂か、花魁という立場に惚れ込んだのだろう。前者であれば、手下に襲わせるなんて野暮はしないはずだ。後者なら、某の命で手下共が動くハメになったのだろう。


「どうする? もう追っ手は来ないだろうから、一杯引っかけていくかい?」

 小天狗はクイッと手でオチョコを持つ真似をした。

「いいや、止めとく。どうせ今日は呑んでもつまらん」

 俺は寝返りを打って背中を向ける。

「だったらおいらもココにいる」

 小天狗は大の字になった。
 小天狗と呼ばれているが、この男、そんなに背が小さいわけではない。俺よりも年が一回り近く下だから、そんな呼び方を始めたのかもしれない。親から受け継いだ道場の師範でありながら、旗本である。れっきとしたお武家様だ。
 それなのに、何故か俺とは気が合う。どこぞの遊び場で一緒になったときから、呑めない酒を浴びるほど呑む仲となった。
 こうやって、互いに助太刀をすることもしばしばだった。お互い敵が多いのが玉に瑕であるが。

「なぁ歳さん、黛姐さんは止めた方がいいぜ」

 しばらくして小天狗はそんなことを言い出した。

「どこだかのお大名が馴染みらしいじゃねぇか。お大名は気に留めていないようだが、家臣達がやっきになって歳さんをこらしめようとしてるよ」

 判ってる。だからと言って、火炎玉屋に通うのを止めようとはしなかった。それは武家に対する執着からかもしれない。百姓の俺が武家の馴染みを寝取るなんて話になったら、俺の自尊心が救われるような……。それでいて空しいような……。

「わかってるよ。黛とはいつかは切れる。ただあの女が俺に執着しているだけだ」

 その言葉に、小天狗は微笑んだように感じた。暗がりでよく判らないものの、月明かりが破れた襖から差し込んで、青白く小天狗の顔を照らす。

「そうさね。こんなことがあったら、またおいらがすっ飛んでくるよ」

 社屋の隙間から朧月が見えた。

 あばらやに寝てひてさむし春の月

 小天狗こと伊庭八郎との夜は、音もなく静かに過ぎていった。
 

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