池田屋24

□丑の刻
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 静まりかえった京の街――。
 家々の灯は消え去り、人々は眠りについている。

 炭薪商を営む桝屋の地下には、不自然な灯りがともされていた。ユラユラと、静かに燻る蝋燭の炎が、潜むように揺らめいている。
 蝋燭の側には、二人の男がいた。
 一人はこの店の主人である桝屋善右衛門、本名を古高俊太郎という。炭薪商は仮の姿で、実は長州藩との繋がりが深い志士である。
 もう一人の男は、肥後熊本藩浪人宮部鼎蔵であった。
本来であれば、彼は今、京にいられない存在である。昨年八月の七卿落ちの際、宮部も一緒に長州に戻っていた。
 それなのに、今、宮部は京にいる。長州の庇護の下、志士達の暴発を避けようと活動を続けていたのである。
 最近京では不逞浪人が多く潜伏しており、その動きが過激になることを恐れて舞い戻ってきたのである。まだ時期ではないと、暴発を防ぐ役目に奔走していた。

「忠衛を助けてくれた礼金だ。とめに渡してくれ」

 忠衛とは宮部の下人であり、先日新選組に捕縛され、南禅寺山門の桜上に縛りつけられていた。志士の大物である宮部をあぶり出すためである。
 それを知った古高は、頃合いを見て下働きのとめに嘆願を頼んだ。南禅寺に薪の代金を取りに行くことをでっち上げ、疲れ果てた忠蔵を哀れに思う女を演じさせたのだ。

「判りました。明日の朝にでも渡しておきます」

 商人風の優男である古高は、言葉少なに宮部が差し出す包みを受け取った。
 元々古高は、安政の大獄で獄死した梅田雲濱に師事し、雲濱死後は志士として有栖川宮と長州を結ぶ重要な役目を担っていた。
 さらに、親戚筋である枡屋の跡継ぎを薦められ、商人として物資や書簡のやり取りの仲介をするなど、志士達にとっては活動の鍵となる人物であった。

「会津はすでに、宮部殿の上洛を掴んでおります。行動は慎むようにしてください」

 宮部の上洛後、しばらくはこの枡屋で世話になっていた。先日の忠衛捕縛から、長州藩邸に移っていたが、どうしても礼がしたいと深夜に枡屋を訪れたのだ。

「わかっている。以後は慎むよ」

 今が大事なときであることは、宮部自身が一番よく知っていた。七卿落ちに至った昨年の失態を、二度と繰り返してはならない。そのためには、ここが我慢の刻だと腹を括っている。

「いよいよの刻にはすばやく動けるよう心しております。こちらの手はずはご安心を」

 古高は、すぐ横に積んである箱を叩きながら返す。商人とは思えないような、暗い眼光があった。商売上の荷蔵というのは仮の姿。この地下蔵は、機をみて決起する志士達のための武器の保管庫となっているのだ。

「わかっているさ。だからといって焦りは禁物。くれぐれも慎重にな」

 高瀬川に通じる扉を押して、宮部は地下蔵を後にした。
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