短編現代小説

□雨上がりの夜空に
3ページ/3ページ

 昔は、こんなイライラしたときには音楽があった。今は手元に楽器の一つもない。
 どうせ死ぬなら、ギターを弾いてから死にたいものだ。ずぶぬれになりながら、ドラムの男が作ったとされる最新シングルを口ずさんでみる。もともと、俺の曲だ。
 こんな雨の夜空にちょうどいい曲だった。女と別れて、一人になった状況もマッチしている。金がなくて家を追い出されるまでは想定していないが。雨水が音を屈折させるのか、なんとなくいい響きだった。俺の魂が震えるような気がしたのは、何年ぶりだろうか。ここにギターがあったらと、また考えた。
 雨音が弱くなった。車の走る音の方が大きくなった気がした。自分の声も大きくなった気がする。空を見上げると、雲の隙間から、薄く星の輝きが見える。明日は晴れるかもしれない。
 そういえば、腹が減った。雨に濡れている間は気にならなかったけれど、小降りになると内側からも何かが囁いていることが判る。
 腹が減った。ギターが弾きたい‐‐。

 もう一度考えた。
 好きなことを一生やっていくために全てを利用するというのは、ある意味正しい。だが、魂まで売って生きていくということは、俺には耐えられそうにない。
 自殺を考えていた頭が、また生きることに向かった。雨を浴びたことによって、脳みそに水分が戻ってきたのかもしれない。今、俺は生きている。
 腹が減った。ギターが弾きたい。
 また考えた。俺の細胞が、そう叫んでいる。雨がやんだ。星が見える。
 俺は餓えている。物理的にも、精神的にも。餓えている人間が、そう簡単に死ねるものでもないだろうと気づいた。やりたいことがあるうちは、きっと自殺なんてできないはずだ。
 腹が減った。ギターがやりたい。そのためにはどうしようか。また考え始めた。
 生きてやる。
 雨が死にたい感情を洗い流してくれた。そして雨上がりが、内側からの叫びに気づかせてくれたんだ。
 失業したとか、婚約者が逃げたとか、家賃が払えないなんて、やっぱりどうでもいいことだった。俺は生き抜いて、腹を満たし、ギターを弾くだけだ。
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ