兎耳のアイリス

□その5
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「わぁ〜〜〜………」


コトコトと弱火にかけられている大鍋の中では、淡い黄色のとろみがかったスープがかき混ぜられて渦を巻いている。時折黄色の粒々が現れては消え、また現れては消え、貝〈ダイアル〉の光を反射してキラキラと光る様に、ミラは釘付けになっていた。


「ママがよくこれ作ってくれた……。私、大好きだったんだぁ!」

「………そっか。」


ふよふよと宙を浮きながら、甘い湯気を立てるコーンポタージュを眺め呟く少女。今はサッチにだけ見える状態のミラは、うっとりとした表情で鍋の中身を見つめ続けている。
サッチは周囲を慌ただしく動き回る他のコックにさとられぬ様に小さな声で相槌をうった。


「美味しかったんだぁ……ママのスープ。甘くて、温かくて。」

「………おう。」


トーストの焼ける香ばしい匂いとコーンポタージュの優しい香りに包まれながら、サッチはぼんやりと「幽霊は匂いを感じるのだろうか」と考える。そんなサッチに気付いているのかいないのか、ミラは僅かに寂しげな表情をして小さな声で呟いた。


「食べたいな………ママのスープ……」

「………。」






海賊の、というより荒くれ男ばかりの集団の食事風景は、それはもう戦場の如しだ。
食堂のあちらこちらから「おかわりくれ」だの「肉もっと寄越せ」だのと聞こえてくる中を縫うように、サッチは特大のカゴを抱えて歩きながら「待ってろってんだよ!」と叫ぶ。もともとモビー・ディック号の食堂はバイキングスタイルだ。それは海賊だから、というよりはコック達の手間を最小限にする為である。だが、先程サッチが抱えていたパンを入れるカゴのように料理の皿は次々と空になる為に、コック達はクルーが一通り食事を終えるまではやはり大わらわだった。


「いつ見ても、ほんと凄いなぁ。」


クルー達からは見えないように姿を消し、なおかつイゾウのような者がいてもなるべく気付かれないようにと厨房に隠れていたミラは、そう呟くと退屈そうに欠伸をする。この時間は自分の事を知る人物は皆忙しくあまり構って貰えない。仕方の無い事だからと分かってはいても、目の前ではあんなに楽しそうな世界が広がっていてそれに入れない寂しさに、ミラは小さくため息をつくと膝を抱えて目を閉じた。

幽霊だから眠る必要なんて無いものの、こうして目を閉じている時間をミラは嫌いではなかった。
今のような誰にも構って貰えない時だけでなく、例えば見張りのクルー以外は寝静まったような深夜。それは彼女にとっては果てしない孤独な時間である。まるで眠る必要の無い自分が置いてけぼりにされているような、そんな時間。眠れれば色々な夢を見てあっという間に朝が来るのだが、ただひたすら待つだけという時間は少女の幼い精神を度々追い詰めた。
そんな長年の生活の中で、ミラはあえて目を閉じ空想に浸る事を覚えたのだ。その空想の中では彼女はお姫さまだったり冒険者だったりと様々な物語の主人公になれる。そう、意識して「夢」を見ているのだ。そうすれば、ただ黙って待っているよりは幾分か早く時が過ぎてくれる事を、ミラは学んでいた。


(……独りぼっちは、イヤ。)


現実的には王子様の迎えなんて訪れはしない、だからこその空想の世界の中で、少女は懐かしい母のスープの温かな思い出に浸っていた。

そうしてどれだけの時間が経っただろうか。ワイワイガヤガヤと騒がしかった室内は少しずつ落ち着きを取り戻し、やがて嵐が去ったかのように静かになった。それでもミラは目を開かない。どのみちサッチの仕事が一段落し手が空かない事には姿を現せないのだから、彼女は名を呼ばれるまでは大人しく待つと決めていた。


「おぉ〜い、……ミラ、出て来いってんだよ。」


ああ、やはり「名前」が有ってそれを呼んで貰えるというのはいいな。
じゃあいつも通りに元気に姿を現そうかな。

そんな風に思った彼女は空想の淵から首をもたげ、ゆっくりと目を開きかけ、そして気付いた。

鼻先を擽る、甘い香りに。



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