兎耳のアイリス

□その3
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太陽も少しずつ傾き始めた午後の甲板。ここ数年でクルーの人数もかなり増え、つい最近は通称仔鯨と呼ばれているサブの船を追加した白ひげ海賊団は賑やかな一味である。現に、甲板で一服している間にも船のあちらこちらからは、楽しげな笑い声が聞こえたり賭け事にでも負けたのだろう悲痛な叫びが上がったりと、静寂とは無縁な様相だ。
ミラは除いたとしても、今この甲板にいる男三人はそんな家族達の中でもどちらかといえば落ち着いたタイプであるし、イゾウが話をし出してからはミラもまた珍しく空気を読んだのか、無駄に騒ぐ気は無いらしい。


「………んじゃ、お前ェは『うち』に仇なすつもりは無ェんだな?」

「しないよ!アイドルはファンを大事にするんだよ!」

「……いやそれはどうでもいいが。」

「わたしアイドル!!」

「はいはい、そうさね。」


まるで教官が不出来な生徒を適当にあしらうような対応で、イゾウはミラから「聞きてェ事」を聞き出した。途中途中で上手い事彼女を誘導する辺りはさすがだな、とギャラリー二人は煙草を咥えながら感心する。そして話が一段落したところでマルコが「ところで、」と口を開いた。


「イゾウお前ェ、どうやって実体の無ェミラをぶん殴ったんだよい?」

「……ぶん殴るたァ人聞きが悪いねェ。ちょいと仕置きしただけさね。」


いや、結構凄い音がしたよい。
マルコはサッチに文字通りひっ絡まっているミラをチラリと眺めながら、心中でそう呟いた。だがすぐに、自身のその考えに自体にも僅かにハッとする。見た目だけなら「叩いた様に見えた」で済ませられるものの、しっかり音までしたのだ。やはり先程のは気のせいではなく、イゾウは幽霊であるはずのミラに触れたに違いない。


「………何か秘密でもあるのかい?」


普段は眠たげなその胡乱な瞳に些か鋭い光を宿し、まるで相手の深層心理を窺うように問うマルコに、イゾウは一瞬目を丸くした後、彼にしては珍しく声を出して笑った。そして目尻にうっすらと溜まった涙を人差し指で拭うと怪訝な顔をしているマルコに視線を向ける。
この生真面目な男は、おおかた覇気か何かの秘密でもあるのかと睨んでいるのだろう。再び喉に込み上げた笑いを喉でククッと噛み殺すと、イゾウはサッチとミラを見遣った。


「なぁに、別に秘密なんて無いさね。……大体、幽霊が触れられねえなんて、誰が決めたのさ。」

「だが、俺もサッチも触れねえよい。」

「そうかい。………まァ、心意気ってぇやつさね。」


自分はさっき、ミラという少女が幽霊である、という前提を頭に置いていなかった。むしろただ「目の前の存在」それ自体に苛立ちを覚え、考えるより前に自然に身体が動いただけに過ぎない。普段から「落ち着いている」と言われがちだが、実はそれほどでも無い事はイゾウ自身が一番分かっていた。
もっとも、そんな格好悪い事をマルコにわざわざ教えてやるなんてまっぴら御免だが。
それに、きっとあれは理屈ではない。

言うなれば、心で心に触れるのだ。

そんなロマンチックな事を朴念仁に言ったところで、また説明を求められるだけだ。そう思ったイゾウはマルコの問いを適当に流すと、カン!と乾いた音を立てて煙管の灰を海に落とし立ち去った。








「……アイツともそれなりの付き合いだが、時々いまいち解らねえよい。」

「イゾウの場合はそれをわざとやってっかんなー。」

「美形な上にミステリアス………ぎぎぎ………アイドルの座は渡さない……」


イゾウの背中を眺めながら、マルコは気が抜けた様に肩を弛めると、もう一本煙草を咥える。同じようにしているサッチの煙草に火を点けてやりながら、僅かに遠くを見るように視線を移した。マルコの呟きに答えるように、一度深く煙を吸い込んだサッチはそれを吐き出しながら、同じく力が抜けたように返す。
そんな二人の後ろではただ一人ミラだけが見当違いな、しかも勝ち目の無い悔しがり方をしていたのだった。



【つづく】
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