サルビアのきもち
□二
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春島が近いのか、過ごしやすい温暖な気候の中航海するモビーディック号。
その船室の一つである事務室では今日もナツメがタイプライターを叩いている。
しかし普段なら軽快なスピードで打ち込まれるそれは、何故か数日前からペースダウンしていた。
「か、かゆい……。」
「掻いたら駄目だよい。」
両手に包帯を巻いているナツメは指をわきわきとしながら「痒い痒い」と騒いでいて、それに先程からマルコが注意しているのだ。
「大体、何で両手の甲になんか入れたんだよい。」
「だって、……親父様と一緒にピアノ弾いてる気分になれるかと思って…。」
二人は何の話をしているのかと言うと、隊長やクルー達が身体に入れている「誇り」についてである。
白ひげの「娘」になると決めたナツメは、自ら希望して「誇り」を入れる事にし、先日ついにそれを実行した訳なのだが、それを入れた場所というのが両手の甲で。
マルコと同じ藍色の十字架に三日月のマークを、その商売道具である手に背負ったのだ。
なんとか施術中の痛みには耐えたものの、その数日後にやってきた耐えがたい痒みには流石の彼女も参っているらしく、無意識に掻いてしまわぬ様にと巻いた包帯をむしり取ってしまいたい衝動と必死に戦っている。
「あ"あ"あ"……痒い、痒い痒い!」
「うるせェよい。」
「かーゆーいー!…、不死鳥でモフらせて貰えれば良くなる気がします。」
「気のせいの極みだよい。」
「チッ!……マルコ隊長も、こんなに痒かったんですか?…腹。」
「そりゃ、まぁ……よい。」
「ああ、でもいいですよね。オッサンだから腹バリッバリ掻いても違和感0ですもんね。」
「お前ェ……俺にだって若ぇ頃は有ったんだよい。…産まれた時からオッサンな訳じゃねぇよい。」
「違うんですか!?」
「テメェ…覚悟しろよい。」
痒い手をブンブンと振り回しながら、なかば八つ当たりと言ってもいい絡み方でマルコをおちょくるナツメに、冗談とは分かっていても額に青筋を浮かべるマルコ。
そんな時、ガチャリと扉が開く音がした。
「……ちょっと、誰を呪う儀式?」
書類を提出に来たのだろう入ってきたハルタは、両手を上げ奇妙な動きをするナツメと凶悪な笑みを浮かべるマルコを見てそう溢した。
「あ"あ"…ハルタ隊長……う"あ"ぅ……お疲れ様、です……あ"ー!」
唸りながらも何とか挨拶をしたナツメだったが、言われたハルタは満面の笑みで、
「なに?俺を呪うの?………散る?」
と何とも物騒な返答をした。顔が童顔で可愛らしいだけに破壊力は抜群だ。
即座にその不穏な気配を察知したナツメは、冷や汗をかきながら「違いますよう」と慌てて否定する。
「それに、仕事中以外は隊長呼びは駄目って約束したよね?…脳のシナプス死んじゃったの?」
「い、いや、今仕事中で……」
「俺には妙な儀式をしているようにしか見えないんだけど?」
相変わらずの毒舌で追求するハルタはナースのお姉様方曰く「天使の顔した悪魔」だそうだ。
そんな二人のやり取りを見ていたマルコは、
「ナツメ、そんな様子じゃどの道仕事にならねェ。今日はいいよい。」
そう告げると「いや、でも」と戸惑う彼女を他所に席を立った。
「それに今日は久々にサッチが甲板で狙撃訓練の申請出してたからねい。…ナツメはまだ見た事が無ェだろい?」
そう言うと、マルコは彼女についてくる様に急かして扉を開けた。
ハルタも「俺も見よ〜」と言いながら事務室を出て行ってしまい、残されたナツメは仕方無しに松葉づえを取り歩き出したのだった。
マルコに言われた通り甲板に向かえば既に訓練の準備は出来ており、サッチの他に数人のクルー達がライフルの様な銃身の長い銃を手に確認作業をしている所だった。
「よぉ、お前さんも来たのか。」
マルコと並んで腕組みをして船縁に寄りかかっていたイゾウがナツメを見付けて声をかける。
「狙撃訓練、って…16番隊じゃ無いんですか?」
呼ばれるままに彼等の隣に移動したナツメは疑問を口にする。
「まぁ大体はうちの隊の連中だが、サッチだけは特別だな。」
イゾウはそう言うと、顎をしゃくってサッチを指した。
促される様に彼の人に視線を移したナツメは、普段のおちゃらけたサッチとは違い、真剣な眼差しで銃を構える彼の姿に思わず息を飲んだ。
普段の戦闘時は二振りの剣を使っているサッチだが、どうやら銃も得手らしくその仕草はなかなか様になっており、ナツメは「家族」の新たな一面を見れた事に僅かに喜びを覚えた。
だが、彼女のその浮わついた気持ちはこの数分後には綺麗さっぱりと払拭される事となる。
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