兎耳のアイリス
□その12
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「よっしゃ〜!そんじゃ、素振り30本やったら上がりな〜!」
「「「「うっす!!!」」」」
昼下がりの甲板に、男たちの猛々しい声が響く。
船縁の手摺に腰掛けて足をぶらぶらと遊ばせていたミラは、少し遠巻きにそれを眺めながら退屈そうな表情で欠伸をひとつ溢した。
黄猿がモビーを急襲してから、かれこれもう三ヶ月が経つ。その間に以前から予定されていた隊の再編が行われ、白ひげことエドワード・ニューゲートをトップとした白ひげ海賊団は全16隊となった。その中にはサッチやクリエルの様な特殊技能に秀でた隊もあり、クルー達のアバウトだった仕事も明確に細分化された。
「……28、……29、……30っ!っふ〜……。皆お疲れってんだ!」
「お疲れっす〜。」
「あ〜、腹へった。」
素振りが終わったらしい4番隊の面々は、みな上半身の素肌をさらして海風に気持ち良さそうに目を細める。今まで彼らは「コック」という立場ではあってもいち隊として纏められてはいなかったので、こんな訓練の様な些細な事でも新鮮な喜びを感じられる様だ。
だがやはり彼らはコックなのだ。
「隊長、何か軽食でも作りましょうや!」
「おっ、いいな。んじゃ厨房に戻るか!」
クルーに「隊長」と呼ばれたサッチは嬉しいのだろう、対黄猿戦でこしらえた新しい縫い傷のある目尻に、親しみやすい皺を刻みながら朗らかに微笑むと、クルー達とともにドヤドヤと船内へと引き上げる。
「…………あ………」
相変わらず手摺の上に座っていたミラは、声をかけるタイミングを逃してしまい俯く。その視線の先には、コックコートの様なデザインの、サッチの上着。
(………忘れてっちゃった。)
上着の胸ポケットには、ミラのコンパクトが入っている。コンパクトから一定以上は離れられないミラは、そのままポツンと甲板に取り残された。
「…………仕方ない、よ……ね。」
忙しいんだもん。
ミラの溢した呟きは誰の耳にも届く事なく、目の前のひたすらに青々とした大海原へと吸い込まれていった。
からりころり。
よく乾燥させてある木特有の小気味の良い音を響かせて、色男は歩く。そのあまりにも耳障りの良い音色に、ミラは男の「ゲタ」とかいうこの履き物は、ひょっとしたら楽器か何かから出来ているのでは無いかと考えながら、右左と規則的に前に出る艶々としたそれを眺めていた。
「……で、おいてけぼりをくらったって事かい?」
「そーそー。アイドルの存在を忘れるとか、あり得ないよね〜。」
「はは、そうさなぁ……」
ぷっくりと頬を膨らませた少女の主張に、イゾウは苦笑いを浮かべながら珍しく言葉尻を濁した。
「でもね、私は心の広いアイドルだから、一度の浮気位は許してあげるんだ!」
「浮気ィ?」
「そう!私以外のものに心を奪われたんだから、これは立派な浮気だよ!……けど許してあげるの。」
サッチが甲板に上着を(ミラを)忘れたのは、どちらかと言えば着任したばかりの隊長という「仕事」が故である。だがそれすらも、目の前のこの自称アイドルにかかれば浮気になるらしい。
「だがなぁ、ミラ。今回は……」
「分かってるよ。」
「…………。」
「分かってるよ、仕方ないって事くらい。ただ、こんな事初めてだったから少しショックなだけ。」
「………そうかい。」
イゾウとて他人事ではなかった。
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