兎耳のアイリス

□その11
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いつもは美しいと思える波の煌めきが、これほどに邪魔だと感じたのは初めてだ。
サッチは頭の片隅でそう考えながら、二振りのカトラスを矢継ぎ早に繰り出す。自慢では無いが己の視力がすこぶる良いのが長所の一つだと思っていた彼は、今回に限っては短所にも成りうると知った。何せ、黄猿が能力を使う度に目の前はチカチカするし、視界の端っこに映る陽光を反射する海もまた光という刺激をもってサッチを追い詰めるのだ。もちろん黄猿はそれも計算のうちだからこそ、着用しているスーツも目に優しくない配色なのだろう。
コックとして出来るだけ手を傷付ける様な事はしたくなかったが、この厳しい戦いの中ではそうも言っていられまい。


(ちっと、気合い入れて踏み込むか!)


サッチはある程度の被害も覚悟の上で間合いを詰める事に決めた。




一方、『他者からは見えない状態』になっているミラもまた、はらはらドキドキと落ち着かない胸に手をあてて戦いを見守っていた。


(サッチさん……怪我とかしたらどうしよう。大丈夫だよね?勝つよね?)


あの笑うと烏の足跡が浮かぶ優しい顔が、苦痛に歪む様なんて見たくない。サッチの望みは叶って欲しいけれど、本当は出来れば戦いなんてして欲しくはなかった。彼は、真剣な表情でカトラスを振るうよりも、笑顔でフライパンを振るっている方が似合っている。少なくともミラにはそう思えた。

自分に笑顔をくれた人だから、彼にも笑っていて欲しい。

出会ってからそれほどの時間を共有した訳では無いのだが、幽霊のミラにとっては初めて自分を人間扱いしてくれたのがサッチだ。だから他のクルーとどんなに仲良くなっても、ミラにとってサッチは『特別』な存在なのである。
心配そうな表情を浮かべ空中を浮遊した状態で、幽霊であるミラは右往左往するしか出来る事はなかった。多くの人の眼には映らないものの、イゾウのような敏感な人間の視界にはそれがしっかりと入り、彼は僅かに苦笑いをこぼしながら成り行きを見守る。もちろんイゾウとて所謂「武功」を挙げたい者の一人ではあるのだが、他のクルー同様に今回はサッチに花を持たせるつもりのようだ。


(さぁて……サッチはどうするかね?)


普段は袂に突っ込んでいる手を出し腕組みをした状態で、イゾウは勝負の行方を見守る。もちろん万が一の事が有れば銃を抜くつもりはあるのだが、彼が腕組みをしている時点でその「万が一」は起こらないと言っているようなものだ。それは、イゾウがサッチという家族は普段こそニコニコと愛想のいいコックではあるものの、その実生粋の海賊である事を心得ているからだ。そしてそれはイゾウのみならず、他のクルー達もまた同様だった。

ただ一人、ミラだけを除いては。


(どうしよう……どうしたらいい?何か私に出来る事は無いかな……?)


空中を右往左往しながらミラは考える。彼女にとってはサッチの身の安全が第一で、花を持たせるだとか男のプライドだとか、そういったものは眼中にない。それは彼女が女だからとか子供だからとか、そういった問題ではなく生い立ちが故だろう。理不尽に生を奪われたミラにとって、それを脅かされる事がどれ程の苦痛を伴うかは誰よりも知るところだからだ。

だから、「その瞬間」だって、考えるよりも先に飛び出していた。


「悪いけどあまりのんびりもしていられないよォ〜〜〜?」


相変わらず間延びした声でそう言った黄猿は、その言葉の通り間合いを詰めたサッチに向かって天叢雲剣で電光石火の剣技を繰り出す。そして二振りのカトラスでそれを受け流すサッチを対格差を利用して押し返した。それと同時に天叢雲剣が一度姿を消し、黄猿の手がサッチの胸辺りに移動する。
瞬間、黄猿の唇がある言の葉を紡いだ。


「――――天叢雲剣。」



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