サルビアのうた

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折から吹き付ける湿り気を帯びた海風が、男のざんばらに切られた髪をさらう。
加えた煙草の火がその髪を焦がさぬようにと、前髪をかき上げた男は薄曇りの空を見上げるとフウ、と紫煙を吐き出し、物思いに耽った。





そもそも、何で俺がこんなにあの娘にご執心かって?
そりゃあお前、随分と前に話が遡っちまうぜ。

…あれはあの娘が船に乗ってから、そう経っていなかった頃だ。
あの娘、食堂の隅っこで所在なさげに飯を食い始めたんだが、いつもカップに口を付けてスープの最初の一口を飲んだ後に、深く息をつくんだ。…少しだけ、安心したように。
それ見て、ああ、気を張ってたんだな…、いつも…安心出来ないんだな、って。
はっきり言って見た目的にも性格的にも好みのタイプからはかなり外れてたから、女として意識して見ていた訳じゃ無いんだが、普段は仏頂面なあの娘のその時の少しだけ目尻を下げた気の抜けた顔を見たら、何か「手を貸してやりたい」って、思っちまったんだ。
…だから、イゾウの奴が「歓迎の宴をする」って言い出した時も俺ぁ大賛成だったね。

んで、その宴の時にさ、俺も自分で分かっちゃいたんだが、ほっそいあの娘がとても食べきれない程に料理を作っちまってよ。
あーこりゃ余りは俺の朝食コースかな、なんて思ってたんだけど。
それをさ、あの娘、嬉しそうに目を輝かせながら、有り得ない位に腹をパンパンにして残さず食ってくれちゃって。しかも、凄く美味しい、嬉しい、って繰り返し言いながら。
そんな風にパクパクと料理を食いながら、あの娘、泣いてんだよ。
…そこにいた奴ら、みんなきっと気が付いて無かったと思う。…マルコの奴以外は。
とにかく、嬉しそうに笑いながら、目の端っこにうっすらと涙が溜まっててよぉ。
ちっさい宴だぜ?料理だって酒だって、有り合わせのもんだしな。
なのに、あの娘は心底嬉しそうに幸せそうに、笑いながら泣いていた。
それ見てまた、「もっと笑わせてやりたい」なんて思ってさ。

そんなこんなで、あの娘の旦那を探しながら航海するうちに、器用なくせに変なとこで不器用なのとか、真面目なくせにちょっとおバカなとことか一杯知ってよぉ。

あー、妹って、こんな感じなのかな、って。

柄にもなくそんな事考えちゃったりしてな。
そんなある日、あの事件が有ったんだよ。
あの島で、あの娘の旦那が見つかった、あの事件。
普段はどんなに飄々としていたって、やっぱあの娘は女の子だからさ、きっと中々割り切れないだろうとか思ってたら、さ。

出航の時、綺麗だった髪をバッサリ切ってよぉ。
しかも、あの娘あの時、少しだけ、笑ってたんだ。
無理矢理にでも割り切ったみてえな、諦めたみてえな、そんな顔で。

……俺ぁ思ったんだ。

必ず、あの娘を幸せにしてやる、って。

男として、とかじゃねえんだ。
ただ、俺に出来る事は、何でもしてやりてえ。
あの娘の笑顔が護れるなら、お兄ちゃん頑張っちゃうよ!みてえな。

その後少しして、あの娘が船を下りて、でもボロボロになって戻ってきた時も、眠りながら泣くあの娘を見てやっぱり思ったんだ。

…どうしようも無くて泣くんなら、せめていつかのスープみてえな、ホッと安心出来るような、そんなモンを贈ってやりてえ。
それであの娘が笑顔になるなら、俺ぁいくらでも力になってやりてえ。


なんだろうな。
なんなんだろうな。


俺にとって、きっとあの娘は「新しい風」だったんだ。
何かってえと女の尻ばっかり追っかけてた俺が、初めて純粋に「力になってやりてえ」って思った……そう、思わせた、「新しい風」。

だから、俺ぁいつだってあの娘の味方なんだ。
だってな。
初めて食堂で「あの表情」を見たあの時から、


誰が何と言おうと、

俺ぁあの娘の、

お兄ちゃんなんだってんだよ。








先程クルーの一人にされた質問に返した答えを思い出しながら、男は二本目の煙草に火を点ける。
医者からは煙草は控える様に言われていたが、「ここ」にはあの口煩い女医はいない。だから、男は少しだけいたずらっ子の様な笑みを浮かべると、曇り空に向かって大きく煙を吐き出したのだった。


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