サルビアのうた
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荒波に揉まれ揺れる船内の廊下をナツメは駆けていた。
最初こそ早歩きという程度だったその足取りは、次第に小走りとなり今に至っては駆け足の状態である。
何故そんなに急いでいるのか、それは彼女自身にも全く分からないところであったが、とにかく早く、早く、と気持ちが先走っていた。
そうして階段を昇り長い廊下を走り抜け突き当たりの角を曲がった所で、彼女は向こう側から歩いてくる人影に気が付いた。
「お疲れ様ですっ!」
「おう。」
ゆさゆさと大きな体を揺らして歩く男に、ナツメはすれ違い様に声をかける。普段の彼女なら足を止めるなり速度をゆるめるなりして、ちゃんと相手の目を見ながら挨拶をするのだが、この時は失礼を承知で駆け抜けながら言い放つ。それは、すれ違った男が普段から彼女自身とあまり関わらない一派のクルーだったからだ。彼等がナツメをあまりよく思っていない事を彼女は知っていたし、彼女自身も普段からあまり関わり合いにならないようにしていた。お互いにいい思いをしないのを分かっていて、わざわざ積極的に絡むつもりもなかったのである。大所帯のこの船で誰からも好かれたいなんて、そんな子供じみた考えをナツメは持っていなかった。
相手方とてそれは同じだったらしく、男は通り過ぎた彼女に短い返事をしただけでそのまま歩き去る。
だが。
彼女が廊下の向こうに消えた頃、振り向いた男、ティーチはニタリと笑うと踵を返し歩き出す。
その行く先は、彼女も向かっている場所…先ほどまでティーチが「友達」との別れの時間を過ごしていた場所だった。
『自分』という存在が、少しずつ空気に溶け出して行くようだ。
床に伏したサッチはぼんやりとそう思った。
身体から流れ出て厨房を汚す赤黒い体液は、彼のコック服を徐々に染め上げる。
そのさまを見ながら、「床が汚れちまう」とも思った。何て事だ、4番隊のみんなが毎日ピカピカになるまで磨き上げている自慢の厨房を、隊長である自分が汚す事になるなんて。
そんなとりとめの無い事を考えながら、サッチは仰向けになろうと身体に力を込める。だが、その努力は指をピクリと動かす、たったそれだけで終わってしまった。
(…くそっ。)
僅かにでも身体を動かせば、背中に刺さったままのナイフが更に彼を傷付ける。しかしそんな些細な痛みなど、最早サッチは感じる事が出来なくなっていた。目は霞み、指先が徐々に痺れ始める。
ああ、死ぬのか。
そう、サッチは思った。
脳裏には、先ほどまで目の前にいた「友だったはずの男」の声がこだまする。
『親父は老いた。海賊王を目指すでも無く、ただつまらねえ旅をするばかりだ。』
(…つまらねえと、思っていたのか、お前は。)
『力を持つものが王になって、何が悪い!』
(…王ってのは、そんなんじゃねえ。親父に育てられたのに、それが分からねえのか?)
『俺ぁあらゆる力を、宝を、この世の全てを手に入れる!』
(…お前ェは、それで…)
『海賊王には、俺がなる!』
(それで満足なのかってんだよ…)
ぷつり。
まるで映像が途切れるように、サッチの意識は闇に霧散した。
はぁはぁと荒い息をつきながら、ナツメはようやく厨房の前に到着した。
深夜の為に必要最低限の貝〈ダイアル〉の明りしか無い廊下は薄暗い。もしもサッチがまだ厨房にいるのなら、目の前のドアの隙間から明りが漏れ出ていてもおかしくないのだが、しかしそんな様子は無かった。
もしや入れ違いで自室に引き上げてしまったのだろうか、そんな風に考えながらナツメはドアノブに手をかけると静かに引いた。
「……サッチ隊長?」
半分だけ開けた扉から中を覗くものの、どうやら厨房はすでに消灯しているようだった。
「部屋、…かな。」
そう一人ごちて、ナツメは扉を閉めようとした。
だが、その時。
大きな音と共に、室内に閃光が走る。
嵐のまっただ中を航行中なのだから、稲光等は珍しく無く、むしろ当たり前の現象だ。しかし、彼女は動きを止め、その場に暫し立ち竦んだ。
続いて、一閃。また一閃。
轟音と共に立て続けに光る空に照らされて、まるでフラッシュでもたいているかのように浮かび上がる厨房の光景。
その中に、ナツメは「それ」を見つけた。
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