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□幸せを探しに行こう
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もういっそ、このまま目覚めなければいいと思った。
意識を失う寸前、今にも泣きそうなアイチのその表情を見て、自分が何をしてきたのかを思い出した。虚無の力に囚われ、リバースファイターとして親友や仲間にまで手をかけてしまった。じわじわと浸食する黒い闇に、死を認識したのは言うまでもない。ただそれを、拒否する気などさらさら無く、むしろ受け入れていたのだ。
世界の滅亡より、周りの人を裏切った事が俺の罪だ。自らの強さなんて法螺を吹いていい気になっていただけの誰よりも弱い人間に、今更日常を望む勇気も資格も無かった。だから永遠の眠りを望んだ。これもただの逃亡だと知っていながら、俺は暗闇の中でただそれだけを願っていた。
そんな事を考えながら、俺はほんの数日眠っていただけにすぎなかった。霞む視界に白い天井が映った、続いて規則正しく雫を落とす点滴、そして窓際に佇む青色の姿だった。生きてる、普通ならそこで喜ぶようなものだが、今の俺が感じた事はただの絶望だった。

「……あ、」

アイチ、そう呼び掛けた声は掠れて消えてしまった。パサつく口内に辟易しながら、点滴の針が繋がれた右手を動かす。鉛のように重いそれをどことなく伸ばす。かさりという布の音に、アイチがこちらを振り返った。櫂くん、そう俺の名を呼ぶアイチの顔が見えない。そういえば何日ぶりに目覚めたのだろう、慌ただしく病室を出ていったアイチを横目に、俺はそう考えた。

俺のリバースを解除した後、アイチはたった一人で戦っていたらしい。一人が怖い俺と、一人でも仲間のために自分の全てを懸けるアイチとは雲泥の差である。
見舞いに来たのは、この町に引っ越して来てから関わった全ての人と言っても過言ではないだろう。皆一様にいつもと変わらぬ表情だ。いっそ責めてくれればいいのに、全部お前のせいだと、再起不能なまでに責めて、罵って、軽蔑してくれればいいのに。
今の俺にとって一番耐え難い事は、許されることだった。自らを殺めた感触が、手の中に残っているそれは全てイメージにすぎないのに。昔の自分を忘れ、力に溺れる俺はなんて愚かなのだろう。アイチやレンにそう諭したのは一年前。二人はそれを糧として強くなった。あの頃から変わっていないのは俺だけだった。

退院まで三日を切った頃。病は気から、という言葉嘘だったのか、予定より二日遅れた退院日に俺はどうしようもない焦りに襲われた。
この期に及んでまだ一人が怖いのか、自嘲気味に笑う俺の顔を、ベッドの横で林檎を切り分けていたアイチは怪訝そうに覗きこんできた。
病室には他に、戸倉と葛木の姿があった。どちらも本を読んでいたり、カードを眺めていたり、とても静かだった。

「…よしっ、できた!」

アイチの声に、俺も含めた三人は顔を上げた。細身の果物ナイフを、落ちないようにテーブルへ置いて、彼は大きな白い皿に乗った林檎を一つ、俺に手渡してきた。
俺は誰とも目を合わせないよう、俯きながら八等分されたそれにかじりついた。しゃく、と伝わる食感と僅かな甘みに、何だか全てが嫌になった。
かたん、と右手が何かを掴んでいた。それはすらりと長い銀色の何かだった気がする。俺はそれを自分の心臓に向けた。きらりと光る刃が、外からの日光を反射していた。

――俺に一番似合わない光が。

「櫂くんっ!!」

その瞬間、白昼夢から目覚めたかのように視界がクリアになった。俺の右手をぎりぎりと音をたてて掴んでいるのは戸倉、ぽとりと布団の上に落ちた果物ナイフを回収したのは葛木。そしてじんじんと疼く頬に平手をかましたのはアイチだった。

「ばか、何やってんのよ本当に、このバ櫂が!」
「ナイフなんか使って何する気だったんだよ!」

どっちも答えなんか分かりきっているだろうに。俺にはこの日常で生きていく資格など無いのだ。イメージで自分を殺したのだから、今本当に自分を殺してもなんともないように思えた、それだけの事だった。それだけの事、なのに、

「…え…」

ぱたぱたと手の甲に落ちた雫に、俺は久しぶりに人間らしい心を取り戻した。それが自分のものだと気付くと、いよいよ歯止めがきかなくなった感情が、堰を切って溢れ出した。

「…すまなかった」

ずくずくと熟れすぎた果実のような音を立てて胸が抉れていくようだった。ひくつく喉が言葉を発するのを拒否するが、ぐちゃぐちゃの思考回路ではそんな事を気にする余裕すら無かった。

「…もう俺に、帰る資格など無い。死ぬなんて最低の逃げ文句だという事は分かっている。…けれど、俺はもう、生きるための方法なんて分からない」

しかし気にしないだけで、そこまでが限界だった。震える唇は一つの単語を紡ぐのも困難になってしまった。目の前では三人がじっと俺を見ているのが分かった。けれど、やはり目を合わせることなんて出来なかった。

「――櫂くん」

突然、ぐんと身体が重くなる。俯いたその視線の先にちょうどアイチの顔があった。久しぶりに見るサファイアのような目に焼かれそうだ。
次いで、がしがしと髪をかき回される。少し爪を立てた細長い指先が、熱が発生しそうな勢いで俺の頭の上を往復している。ちょっと目を上げると、腰を屈めた戸倉がしかめ面でそっぽを向きながら、俺の頭をぐしゃぐしゃと撫で回していた。そして最後に、小さな手が、俺の腕をぎゅっと掴んできた。ぐっと食い込む指に顔が歪む。葛木、お前はチビのくせに力だけは強いんだな、無駄に。
つまりどういう事だろうか、どいつもこいつも俺の事を遠慮も無い渋面で見つめている。けれど、俺に触れている手からは、確かに温かさを感じて、思わず涙も止まってしまった。

「…落ち着いた?櫂くん」

そして不思議と、俺を見上げてくるアイチも、仏頂面でこちらを睨む戸倉も、いつもからは想像できない不安そうな面持ちの葛木も、ちゃんと見ることが出来た。

「櫂くん、帰れないだなんて。そんな事ないよ。皆待ってるんだ、櫂くんが戻ってくるのを」
「俺を?」
「え、何だよその顔。お前、俺達の事なんだと思ってんだよ、進学だぜ!」
「…心外」
「そ、そうそう心外!」

するりと口から零れ落ちた軽口に心底驚いた。震えていた唇が正常に戻ったから、言葉が出るのは当然だった。ただ、他人から見ても何の価値すらない、「普通」がちゃんとそこにあった。

「ったく、アンタってホント、何考えてんのかよく分かんない。一人でうじうじ悩みやがって、女々しい男なんか嫌いだよ」
「…お前に好かれても…」
「…アンタいっぺんひっぱたいてやろうか」

ひっぱたく、という割には酷く軽い手つきで俺の頭を叩いた戸倉を見上げた。彼女はどこか呆れたような目付きで俺を一瞥した後、袖口で濡れた俺の目元や頬をごしごしと擦り始めた。ごわごわとした制服が擦れてひりひりする。乱雑に俺の涙を拭った戸倉は、どこか満足そうだった。

「もう、櫂くんったらいつもいつも、肝心な事を忘れてるよね。僕たちは仲間なんだから、何があっても君の味方だよ」

でも、悪い事をしたら怒るけどね。人差し指で俺の額を小突いたアイチは、少し唇を尖らせてそう言った。

「……でも、そればかりじゃいけない。何かしら償わないと、」
「お前…もうそれはいいって話じゃ無かったのかよ今の」
「まぁ、私達は無論必要無いとは思うけどね。それで考えすぎてさっきみたいなことされても困るけど…」

戸倉がベッド脇に置かれた果物ナイフに目をやる。さっきの衝動を思い出すともやもやと胸が淀んでいくようだ。
しばらく沈黙が続いた。重く長く感じた数十秒の後、アイチが長い人差し指をぴんと立てて俺に笑いかけてきた。

「じゃあ、僕たちのお願いを一つ聞いてくれないかな」
「お願い?」
「そう。僕たちから櫂くんに」

にこりと笑うアイチに、戸倉と葛木が「そういうことか」と顔を見合わせた。一体何なのだろう、話が分からない俺に、アイチはなおも続けた。

「僕たち三人だけじゃなくて、そうだなぁ…、レンさんや三和くんにも声をかけようと思うんだ。結構身勝手な話だけど、いいかな、櫂くん?」

有無を言わさない口調に、思わず頷いた。何をさせようと言うのだろうか、そんな俺の疑問を読み取ったかのように、アイチはもう一度口を開いた。

「名づけて幸せさがし、なんてね」


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