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□柘榴月の夜
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例えるなら熟れすぎた果実のような、淀んだ赤色の月が浮かぶ夜。あんな色の月初めて見た、そんな事を考えながらアイチは帰路を急いでいた。塾帰りで重たい鞄を持ち直し、早足で民家の間を歩く。
青白い街灯で照らされた道路には、近くの公園から吹かれて散った桜の花びらが、潰れて落ちていた。視線を上げれば満開の桜が、屋根の間からちらりと見えた。
ふ、と。ひやりとした風を感じ取ってアイチはスピードを緩めた。先程まで少し肌寒くとも暖かかったのにも関わらず、そっと両腕を抱えた。
公園の目の前に差し掛かった時、中から微かな叫び声が聞こえた。寒さに加え、叫び声。ぞくりと背筋が凍り、アイチは足を止めた。

立ち止まってしまったのだ。

公園の中へ恐る恐る目をやると、ひらりと舞う桜の下で男が何かを見下ろしていた。桜の木より、少し短いくらいな、いや、『低い』だろうか。月明かりに光るきらきらとした髪が見えた、つまりあれは人間なのだ。
もう動かないそれを見下ろしていた男が、不意にこちらを向いた。アイチはびくりと体を震わせながら逃げようと後ずさったが、足が言う事を聞いてくれない。
結果的に、アイチはその男をまじまじと見るはめになったわけである。亜麻色の髪、赤い月を反射する翡翠の瞳。そして、これはどうにも信じられないが、彼の右手には、身長の長さはあるだろう鎌が握られていたのだ。
そんな男が、ふいと瞬きした瞬間にはいなくなっていた。ほっと息を吐き出したのもつかの間、一瞬の後に10センチほどしか無い場所に立っていたのだ。

「おい」

そう低く睨みつけられれば、気の小さいアイチなど竦み上がって動けなくなってしまう。闇と溶け込むかのように黒く大きな鎌をアイチの細い首に当て、男はついと口角を上げた。

「、や・・・っ」

ほろほろと怖さのあまり零れる涙が、冷たく冷えた道路に水玉模様を作る。男は鼻で笑うと、更に首へ鎌を押し付けた。

「誰に物を聞いているんだ人間?悪魔と違って死神なら情けを聞くとでも思ったか」
「あ、あくま・・・?しにがみ?」

訳が分からない、という意味を声音に滲ませ、アイチは眉を下げた。ちっ、と男は舌打ちをし、ぐおんと鎌を振り上げた。真っ黒の刃が、赤い月と桜の花びらを反射する。この刃に当たると死んでしまうのだろうか、そう考えると腰が抜けてしまい、そのまま地面にへたりこんでしまった。
そんなアイチを嘲笑うかのように、鎌の切っ先は真っすぐ心臓へ向かっていた。
心臓に切っ先が突き刺さる、その瞬間、
見えない何かに弾かれた鎌が、道路の真ん中に飛ばされ、突き刺さった。呆然とそれを見ていたのはアイチだけではなかった、男も目を丸くしてほうけた表情を浮かべていた。
その時だけ、アイチは男の顔をまじまじと見る事が出来た。男もまた、少女のようなアイチに見惚れている様子だった。
ややあって、はっと我に帰った男は、再び舌打ちしながら道路に突き刺さった鎌を抜いた。翡翠が、アイチを振り返る。

「お前、光の加護を受けているな」
「え・・・え?」
「死神や悪魔など、闇の者を寄せ付けない、一種の能力だ」

はぁ、といらついた様子でため息をついた男は、首を振りながらアイチに向き直った。これから何をされるんだろう、しかし今は不思議と恐怖を感じる事は無かった。

「目撃者は排除、それが決まりなんだがな」
「は、排除・・・?」
「仕方ない。少年、お前の名前は何という?」

男の綺麗な顔を見ていたアイチは、反射的に「せっ、先導アイチです!」と答えてしまった。男は短く「アイチ、」と呟くと、彼はアイチの目の高さまでしゃがみ込み、にたりと笑った。

「お前を今から監視する」
「な、え?監視・・・って、何で、」
「俺が死神と世間にばれてしまえば、困るのは俺だけでは無いからな。名前の交換、それが俺達死神が人間との契約に使う手段だ。ちなみに俺の名前は櫂トシキだ」
「か、櫂、くん?」

そう高い声で名前を呼ばれた男――櫂は、僅かに目を細め立ち上がった。右手には再び鎌を握り、赤い月を見上げながら。
ついと上げられた左手がシルエットになって浮かび上がる。ぱちんっ、凜と響く音と共に、櫂の姿は消えてしまった。



続く?


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