小説

□世界の終わり
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「なんや、まだふてくされとるん?」

健一はそういうと苦笑しながらやかんを火にかけた。

「……」

床には不機嫌そうな顔で孝宏が座っている。

「ふてくされてなんかねーよ」

口だけなのが直ぐにわかる。
こいつはふてくされるとひよりにちょっかいをかけだし始めるのだ。
髭を執拗に引っ張られてひよりはニャア!と批難の声をあげ孝宏の手を引っ掻いた。

「イテッ」

包丁を握っていた手を止めて見遣ると孝宏の手の甲には鮮やかな三本の線が浮かんでいた。
じんわりと、生まれた溝に紅は溜まってくる。
それを茫然と眺めている孝宏の手を取ると健一は優しくそれをペロリと舐めとった。

「…滲みる」
「ハハ、自業自得やろ」
「てか、なんでそんな…」
――やさしくすんの

孝宏はなんだか冷めた目で問う。

「今日で、終わりだから?」

健一はその言葉に

「そんなんちゃうよ」

と少し、笑った。









世界の終わり






このまま、少し遠回りをしてもこのまま。変わらず毎日は進んでいくものだと思っていた。
朝起きて、歯を磨いて、現場行って、笑って悩んで。
家に帰ったら書き置きがあって、「遅くなるからチンして食べて」って、気が向いたから健一の帰りを待ってみて、二人でご飯食べて、寝て、また朝がきて、

そんな感じで。

――だけど、報せは突然で、無情だった。

「…皆様。どうか、どうか落ち着いて下さい。」

落ち着ける訳がなかった。
俺は世界が終わると聞いて平気でいられる程頑丈な心臓を持ち合わせた人を知らない。

持ち合わせていない二人は派手な音を起てて持っていた茶碗を割る。

ハッピーミレニアム
何がハッピーだ、大嘘つきだ。
何がダーウィンだ。一度全部真っさらにして、もう一度やり直そうっていうのか?
進化論、自然淘汰、…ふざけるな。

二人とも何も言えず、ただテレビを凝視するだけだった。
キャスターは表情を消し、淡々と与えられた言葉のみを紡いでいる。
お歳暮で貰ったダサい揃いの茶碗は、粉々になってただ黙っていた。


***

人類に与えられた執行猶予は7年らしい。7年、ラッキーセブン。
皮肉なのか、当て付けなのか、と俺は自嘲の笑みを漏らした。
ラッキーでもなんでも、何をどうあがいても、7年後のその日、21時34分に巨大惑星ダーウィンは地球に激突するのだ。


世界はひとしきり混乱した後、すぅっと波が引くように穏やかになった。政府がポジティブギブアップとかいう政策を掲げたからだ。
私たちは負ける訳ではない。むしろこれは新しい世界の始まりなのだ。躍起になってはいけない。最後の日まで精一杯生きよう。それはそう、高らかに歌った。人々はなんとかそれを受け入れ、そして実行する事になる。一度絶望して、諦めて、そこからまた日常始める決意をしたのだ。

俺達も、決めた。これから起きる未来を忘れる、という事を。
未来を忘れるなんて、なんだか矛盾してるな。と笑う。
7年後全人類は滅びる。なんて、そんなこと忘れて。
今まで通り普通に生きて行こうと、そう決めたのだ。
普通にご飯を食べて、仕事に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、風呂に入って、寝て、そしていつの間にか世界が終わっていればいい。

「簡単やん、今まで通りに生きればええ」

健一は笑った。

「7年もあるんやし」

一度どん底に突き落とされた者の笑顔は綺麗だった。
俺はそれを見て、ふっと軽くなって、

「そうだな」

と笑った。





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