小説

□春、スナフキン
2ページ/3ページ




むっとする人いきれ。四角い箱にまるで押し寿司みたいに人間が詰まっている。
入口付近の銀の手摺りに縋って二人で外を見ていた。
いつの間にか俺と櫻井の間には一人サラリーマンが入り込んでる。
後ろの人の吐息が首筋にかかる。ゾクリと寒気が体を走ったが気にしない事にする。たった20分の辛抱だ。ちらりと櫻井の方を見ると彼は景色を見ていた。すっと伸びた鼻筋が櫻井の清廉としたイメージの元かな、と思う。
そこにいる存在を確かめて俺は、ほっとした。


異変に気付いたのは2駅目を過ぎた辺りだった。最初は車両が傾くせいだと思っていた。だけど、なんだかおかしい。執拗に触れる手から逃げるように身をよじる。
だがそうしてできた隙間にもしつこく手が入り込んでくる。首には相変わらず誰かの荒い吐息がかかる。
(もしかして……痴漢?!)
浮かんだ突拍子もない考えをふるふると払い落とす。まさか、ありえへん、おれ、オトコやし。
だが手は絶え間無く俺の体に絡み付く。背筋から腰、揚げ句の果てには尻、と。何往復も撫でられて嫌悪感に耐え切れず下を向く。
えもいわれぬ冷たさが触れられた所から全身へと広がっていく。少しの希望をもって櫻井の方を見遣ると、彼は下をむいてうつらうつらしていた。儚くも打ち砕かれる救命信号。電車がガタンと揺れたのにかこつけて、手が俺の尻をぐっとわしづかんだ。

「ひッ……」
思わず出てしまった声に慌てて口を押さえる。
「どした?」
目覚めたらしい櫻井が不思議そうにこちらを見た。

「たすけて」
「うしろのこいつ、痴漢や!」

…そんな台詞言える訳がなかった。男なのに、痴漢されてるなんて。怖くて声が出せないなんて。
そんな事、特に櫻井には、絶対言えなかった。
へらりと頬を緩めて櫻井を見る。それが精一杯の俺のプライド。
ちっぽけだけど、捨てられるはずもなかった。


目を固く閉じて与えられる刺激をやり過ごす。
多分髪の毛にキスされてる。気持ち悪くて吐きそうだった。
俺が声をあげないのをいいことに、手は段々その動きをエスカレートしてくる。まるで金縛りにあったかのように動けない。
頭が真っ白になる。

こわい、
たすけて

ジジ、とジッパーの下げられる音がする。
もうだめや、悔しくて涙が滲む。
電車はそんな俺の思いを1ミリも介さず、ホームへと滑り込む、ドアがあいた。
と、その、瞬間、
櫻井が俺に触れていた手を、掴んで、降りた。

「痴漢!痴漢ですコイツ!コノヤロー変態ッ、ざけんなよ」

大声でそう叫んで櫻井は、強烈なアッパーをそいつへかます。
スローモーションでぶっ飛ぶ、変態野郎。
かたや青い顔をして、必死な櫻井。
慌てて駅員がとんできてそいつは確保された。そこで初めて顔を見る。さっきまであんなに俺を悩ませていたのは、ただの七三分けの、おっさんだった。

あまりに突然の事に力が抜けて俺はホームにへたりこむ。

事情を説明していたらしい櫻井が帰ってきて、俺に手を差し延べた。本当に、救いの手。
「いこ」
繋いだ手からやっと体に熱が帰ってくる。
…あんな声もでるんや、いつもと違う、あんな大きい声、切羽詰まった声。それが俺のために。ずんずん引きずられながらその事が何故か体が熱くなるくらい、嬉しかった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ