小説

□a low heat
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He is scared that the boat might sink




何度目かわからない。
肺に溜まった古い空気を、悠一は吐き出した。
黒い長いすが二つ、向かい合うように置いてある自販機前。
気が付くと俺はまたコーヒーを飲んでいた、あの時みたいに。
「はあ……」

今日の仕事はBLCDの録りだけである。ちなみに、俺は、…ウケ。
気心しれた先輩のリードもあり、収録は和やかに、順調に進んでいた。
つかの間の休憩。
ご当地グルメ談に花を咲かすみんなの輪からひっそりと離れ、俺は一人ここに座っていた。
休憩のうち俺は、どのくらい地球温暖化に貢献したのだろうか。コーヒーの湯気が忌ま忌ましい呼気で燻ったのを見て、そう思った。

コーヒーを飲み下す。
喉を走る熱さは、どこか違う世界のもののような気がした。




「あっ…!……いや…だッ」
「いいよ…かわいい」
「やめ、んッ……あああっ!」
「好きだよ、…好きだ」

好きだ中村

「愛してる…」

愛してる

「ずっと、おまえだけを…」

愛してるんだっ、中村。


カットー!
監督の声がかかった。
最後の曲面、絡みのシーン。
ワンテイクで、オッケー。
仕事には私情を持ち込まない。
俺は上手く取り繕うくらいはできるみたいだ。



人に知られるのはご法度。社会的な立場を失う。
後ろ指さされて、日陰で生きる定めがまっている。
明確な、結婚というゴールは認められないし、もちろん愛の形なんて、残せない。
暗闇の中で根競べの持久走みたいなもんじゃなかろうか。

…男同士の恋愛なんてものは

漫画や小説のように、上手くいくものなのか、実際、
…いや、そんなのありえない。
今日録ったBLみたいに、…うまくいきっこない。
忍ぶ恋、結婚というゴールはない。子供だって、つくれない。

杉田は真っ直ぐ言った、俺の事を好きだって。しかも、何度も何度も。
抱きしめられた手に迷いはなかったように思う。

−好きだ中村。

あれから何度もリフレインされる声
本当は気が散って仕事どころじゃなかった。プロ失格だ。

「あー…ちくしょー」
頭をうなだれる。
気付いてしまった。
いや、気付いていたのだ。だけど今、それを、認めてしまった。
長い思考の螺旋階段を登る自分に。
杉田に告白されて迷っている、自分に。
断るとか断らないとか、もう既にそういう次元にいない、俺、に

正直泣きたい気分だった。
まったく階段の、終わりが見えない。暗すぎて、自分が全く見えない。
悠一は、途方にくれていた。



だが、そんな孤独の闇は突然裂かれる。

「中村〜、おつかれ」





(彼は船が沈みはしないかと怖がっている。)
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