tex

□夢まぼろし
1ページ/1ページ



あの方の命令は絶対であり、あの方の生命もまた絶対だ。

あの頃の俺は何の根拠も無くそう信じて止まなかったし、疑った事も無かった。

俺達は骸様によって生かされていて、骸様は俺達の全てだった。






まとわり付くような蒸し暑い夏の日、骸様は死んだ。"契約"に失敗した為であった。


その日は開戦直後からかなりの苦戦を強いられており、骸様は勿論俺達も自分の目の前の輩で手一杯で援護に回ることすらできなかった。
そんな苦しい戦況の中、視界の隅に頭に銃を突き付ける骸様の姿を捉える。

あぁ禁弾を使うのだ。
まやかしの死と俺達の体を使い隙を作るつもりだ。
もう後は骸様に任せれば…

俺に意識が有ったのはそこまでだ。



目覚めた俺と犬の目の前には、いつも通り敵陣の肉塊が折り重なっていた。

ただ一つ違ったのは、その中に血にまみれた濃紺の髪が有ったこと。


消えない、むしろ在り続ける事が当たり前だと信じていた存在が、その日目の前であっさりと消えていった。
俺はいつの間にあの方が儚い命を持った一人の人間であることを忘れていたのだろう。
今思うと馬鹿げている。

死なない人間など居ない。




その日のうちに俺と犬は骸様を埋葬することにした。
彼の死を受け入れられた訳では無い。このままただ眺めている訳にはいかないというぼんやりとした焦りだけが俺達の重い腰を動かした。

やかましく泣き喚くかと思った犬は、押し黙って静かに彼の体を拭いていた。


痛々しい程に血に塗れた肌が清められ、俺は盗み見る様に、しかし随分長い間彼を眺めていたと思う。

もう動く事も声を発する事もないその冷えた体に触れても、何の実感も湧きはしない。

その時感じたものと言えば、所々焼き切れたその髪の艶、傷だらけの白い肌、三叉槍を操り続けた骨張った華奢な手、それらがただ生々しく美しいと思ったことと、目を瞑っている姿に感じる意味の分からない高揚…その程度のものだった。


骸様が亡くなった直後の俺と犬は完全に生きる意味を失い、当然の如く茫然自失となった。
そして死を受け入れられぬまま考えることすら放棄し、魂が抜けたような日々を過ごした。

そんな様子で数日をやり過ごした後、この先生きても死んでもどっちでもいい、どちらも面倒くさい、という感情が湧くようになった。
久方ぶりの"感情"を己の中に認めたら、嫌がおうにもあの方の死が現実なのだとじわじわと思い知らされることとなった。


若干機能し出した俺の頭には何故あの時死んだのが彼だったのか、俺も犬も何故彼を庇えなかったのか、何故駒が生き伸び主が死ななくてはならないのだ、あぁ戻って来て欲しい等意味の無い思考と実らない願望がだらだらと流れ始め、次には彼の遺志を継ぎ世界の再構築を考えてみたが、骸様の居ない世界になど価値は無いし、つまるところ俺達は骸様が居なければ何の価値も無い、そう理解し後を追うことばかりが頭にのぼる様になった。






その日の晩、俺は夢を見た。
…いや、正確には夢だったのか幻だったのか分からない。
とにかくこの世にはもう有り得ないものを見た。


目の前には揺れる草原と青い空が広がっている。
その視界の隅にぼんやりと何かの気配を感じた。

鮮明な風景の中でそれはまるで薄い霧に包まれている、そんな不思議な在り方だった。

この空気、これは…

それが主であると直感したと同時に俺は彼の名を呼んでいた。

するとそれはゆっくりとこちらを向き、静かに笑った。
なんて顔してるんですか。相変わらず情けないですね、お前は…

そう言い、霧のそれはまた笑った。

諦めかけていた再会は有難いがあまりに唐突だった、唐突過ぎて理解が追い付かない頭は真っ白になるばかりだ。
これは何なのだろう、そんなこと分からない考えられない。

だが目の前の人物は紛れもなく意思を持った彼本人…間違い無い、絶対に


途端、感じきれない程の願望や後悔が凄まじい勢いの嵐となって頭の中を吹き回る。
会いたかった、何故俺はあなたを死なせてしまったのか、その役割は俺が担うべきだったのに、戻って来て、触れたい、このままどこにも行かないで、もう離れたくない。
お願いだ、側にいてくれ



何か声を掛けなければ、想いを伝えなければと焦ったが、膨れ上がった思考の渦の中からは何も言葉にできなかった。

「大丈夫ですよ、千種。お前達は自分を責めてはいけない。」

遮る様に発せられたその言葉は、ひねくれた普段の彼からは想像も付かない程素直で優しいもので、それ故俺は彼の死後初めてこの事実を痛感する。

彼の死は現実だ。

そう認めた瞬間に今まで一つも零れなかった涙がせきを切った様に溢れ出てきた。
何が大丈夫なものか、あなたの居ない俺には何も無い。


霧はそれ以上もう何も言葉を発せず、ただ静かに微笑んでいる。…微笑んでいる様な気配がした。

嗚咽の止まらない俺を無視して、涙で滲んだ視界はあからさまに光に満ち始めた。
消えるのだ、と感じた。

随分ベタな演出じゃないか。
此方の都合などまるで無視のその強引さもあまりに彼過ぎる

混沌の頭の片隅で妙に冷静に感傷る俺に、霧は最後の言葉を告げる。


また逢いましょう
輪廻の果てで






それから明け方までの記憶が俺には無い。
ただ、昨晩の出来事、そして彼の手によって今も生かされている俺達の生命、それらは夢幻では無いと俺は考えるようになった。


日は既に昇り、薄暗い廃虚を照らす様にさやかな光を落としていた。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
091023

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ