-花と緑の-

□第六話 『花と縫包の乱 後編』
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シーンY:戦いの真実(1/13)

 
 身体検査の類いはなかった。目に見えてあからさまな凶器を取り上げたことで安心したのか、あるいは隠し持てる程度の武器では丸腰と変わらぬとでも思ったのか。どちらにせよその甘さが、このチャンスに繋がったのだ。
 ヌヌが牢を出て、既に数時間が経っていた。来たる戦いに備えての体力温存、というこれ以上ない大義名分の元にたっぷりめの仮眠を取り、目を覚ましたのがつい先程のこと。窓もなく時計もなく、正確な時間はわからないが、恐らく外はじきに夜明けだろう。もう、ヌヌの帰りを待つ猶予はなかった。あたしは、行動を起こす決意を固める。
 そっと懐を探り、忍ばせておいたそれを取り出す。看守の目を盗むため、熊の抜け殻の陰に隠れる位置に腰掛けて。昨晩から見ているに、どうにも看守たちは中のあたしたちより外からの敵にでも警戒しているようだったが、用心するにこしたことはないだろう。まだ仲間がいると思っているのか。この幽閉もその辺りが理由だろうか。何にせよ、あたしとしてはここが好機。
 音を立てぬよう慎重に、厚めの包み紙を開いていく。見付かったとしても奴らが牢に入るより早く事を済ます自信はあったが、できるなら騒ぎを起こしたくはない。一折り、二折り、細心の注意を払う。高鳴る心臓を押さえ、息を飲み、ベージュの包み紙から姿を見せたそれを、震える指でゆっくりとつまむ。そろり、そろりと口元まで運び、そうして――ぱくりとくわえる。

「何やってんの……?」

 そんな声が聞こえたのは壁の中からだった。心臓が打ち上げられた鮮魚のように跳ねる。今まさに食べかけた干し肉を落っことしそうになった。慌てて干し肉を押し込み、ついでにそのまま声を上げそうになった口を塞ぐ。
 んごご。ヌ、ヌヌか、この声は……。驚かせやがって。
 ばくんばくんと高鳴る胸を押さえ、むしゃりむしゃりと干し肉を咀嚼し、そろりそろりと声のしたほうを見る。

「何でこの状況で小腹が空くんだよ」
「うるさいなぁ、もう。どんな状況だってお腹は……」

 振り返りながら声をひそめてそう返し、そうして、声はすれども姿の見えないヌヌに首を傾げる。

「あれ?」
「ヌヌ君……かい?」

 こっそり干し肉を頬張るあたしになぜだか言葉を失っていた魔術師もまた不思議そうに名前を呼ぶ。こつん、と壁を叩く。その瞬間だった。にゅぷるん、と壁から滲み出た緑のゲル状物体が瞬く間に巨大ナメクジへと形を変え、とてもフランクに片手を挙げてみせたのは。

「おう、ただいま」

 あたしは、当然の如く叫ぶ。

「ほぎゃああぁぁぁお!?」
「コフ!?」

 そして当然の如く看守に気付かれる。
 わざとか!? どんな登場の仕方だこのゲル野郎! てゆーかしばらく見ない間に何がどうしてそうなったぁ!?
 とかなんとか突っ込みたかったが突っ込むわけにもいかなかった。魂の雄叫びを飲み込んで、あたしは必死に脳みそを回す。どうする。もう叫んじゃったぞ。不信がられる。見付かる。かくなる上は――!

「終わりっだあああぁぁぁおお!」
「ハ、ハナ君!?」
「コ、コフぅ!?」

 言葉を変えて吐き出す叫びは天井の暗闇に向けて。

「あおぉぁぁん! おしまいだぁ!」

 吠えながら左手は熊の首元へと伸ばす。胸倉なんてないけど胸倉と思しき辺りの生地を無理矢理つかむ。相も変わらず猛りながら右拳をしかと握りしめる。ぎちぎちと、骨と筋肉の軋む音が聞こえた気がした。左手でしかと標的を捉え、えぐりこむように、

「にゃああぁぁ! こんにゃろおぉぉ!」

 打つべし! 撃つべしっ! 討つべぇし!
 奇声を上げながら熊を殴打する。どうせ中身はないから遠慮はいらない。拳ががらんどうの着ぐるみにめり込む。当たり前だが熊は無抵抗にぐったりしていた。

「うおおぉぉぉ!」
「ハ、ハナ君! 落ち着くんだ! ヌヌ君のせいじゃない!」

 さすがに二度目ともなれば魔術師は察してくれたらしく、慌てた風な演技でそう止めてくれる。少し間があったのと声色が演技に聞こえなかったのは若干気になったが、それはともかくグッジョブである。あたしは鼻息を荒くしつつも歯を食いしばり、魔術師の制止にどうにか怒りを押さえ込む。みたいな演技で殴打を止める。

「コフー……」

 小さく息を吐いて再び見張りに戻ったガスマスクを見るに、どうやらまた上手くごまかせたらしい。ごまかせたとしたら彼らからあたしはどんな風に見えているのだろう。まあいいや。
 
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