-花と緑の-

□第五話 『花と縫包の乱 前編』
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シーンU:星屑の勇者(2/4)

 
「……ヌヌ?」

 少しの沈黙。分別は粗大と生でいいかしら。とか考えていると、不意に熊の手足がぴくりと震える。両手を地面に突き立て、膝を擦りながらゆっくりと起き上がる。二歩三歩とたたらを踏んで、ふらふらしつつもどうにか両の脚で立つ。体積の配分は謎だが、どうやら墓標にせずには済んだらしい。

「どう?」

 と、問えど、答えは帰って来なかった。眉をひそめる。ヌヌin熊はゆらりと手足を揺らし、感覚を確かめるように間接をこきこきと鳴らす。どっちのどこが鳴っているかは知らないが。

「ちょっと? ヌヌ?」
「…………ふぉ」

 あたしを無視するなんていい度胸じゃないかと、頭を小突いてやれば小さな声が漏れる。漏れるが……ふぉ? 眉間のしわを益々深く、首を傾げれば、ふと熊が空を仰ぐ。すう、と息を吸い、そうして――布地を引き千切るようにその口を大きく開く。

「ふぉっ……ふぉっふぉふぅうぅぅぅぅ!!」

 雄叫びが、山の空を突き抜けた。突然の奇声にさすがのハナさんもびくりと震える。

「たたたたたたぁぁぁぎぃぃぃぃうるあぁぁぁぁぁ!?」

 先程までとは打って変わって激しく全身を震わせる。まるで自分の中の異物を搾り出そうとするかのように雑巾の如く身をよじらせる。絡み合ってのたうちまわる無数の芋虫でも見ているようだった。ただただぽかんとする。

「ぬぅあんだあぁぁぁ!? なんだこのちからわあぁぁぁ!?」

 ぐりんと首を回してあたしを見る。もはやホラー以外の何物でもなかった。熊はなぜか高速スピンをしながら跳び上がり、あたしの目の前に着地する。喰われるかと思うほどの剣幕で大口を開いてなおも叫ぶ。

「たぁぎぃるぅぅうるるぁぁ!? たぎるぞぉ!?」
「そ、そう。よかったね」

 としか言えない。ええと、何が起きているんだっけ。とりあえず近いから離れようか。軽く頭突きをするほどに迫る熊をぐいぐいと両手で押し返し、リアクションがよくわからないので一先ず苦笑いをする。

「いいい今なら! 今ならぁ! 世界さえもこの手にぃぃいぃぃぃ!!」
「せ、世界? え?」
「いぃぃくぞおおぉぉぉぉ! ハナあぁぁ!!」
「は? え? 何が!?」

 問い返した時にはもう走り出していた。あたしをひょいと肩に担ぎ、山道なんぞ知るものかとばかりに岩壁と木々の上を跳び繋いで山を駆け降りていく。道なき道を爆走するその速度はぬめぬめ這っていた頃とは比べ物にもならない。何がどうしてそうなったかはさっぱりだが、どうやらどうにも劇的なレベルアップを果たしてしまったらしい。

「やぁああぁぁぁ!?」

 足で風を切る。なぜ足かというなら向かい合う形で抱えられたせいで前後が逆だったからである。見る見る山頂が遠ざかる。浮遊感が心地悪い。前が見えないから余計に怖かった。ヌヌは引き続き奇声を上げていた。

「ちょちょちょっとぉ!? ストップストップ!!」
「あひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「あひゃひゃじゃなくて!?」

 いよいよ言葉も通じない。上体を無理矢理反らしてどうにか目だけを前に向ける。僅かに見えた熊の横顔、その目は、完全にいっちゃった人のそれであった。ばしんばしんと後頭部を叩いてみるも、まるで構わず我が道を突き進む。嗚呼、成る程ね。駄目な奴だこれ。頭を抱えて、ぐぬぬと唸る。そんな時だった。熊の進行方向から誰かの声が聞こえたのは。
 はっと、もう一度目を向ける。瞬間に見えたのはぎらりと光る熊の目と掬い上げるような右拳。そして視界を一瞬に過ぎる影。

「もんパーンチゃ! あひゃひゃ!?」

 同時に聞こえるトーンを上げた熊の狂喜の声と、鈍い音。
 慌てて影を目で追えば、人間大の何かが宙を舞っていた。掲げた熊の右腕と宙の影を交互に見て、ぽかんとする。熊の右アッパーが何かをぶっ飛ばしたことだけは一拍遅れて理解できたのだけれど、何がどうしてそうなったかは勿論さっぱりである。

「え? ちょ、えええ!? 今の誰!?」
「知るかあぁぁーー!! あっひゃっひゃっひゃっ!」

 敵でも現れたのかと問えば、熊はとても愉しそうに即答する。高く高く弧を描き、遥か後方に落ちた誰かを目を丸くして見る。僅かにモヒカンが見えた。ような気がしないでもなくもなかった。うん。モヒカンだ。きっとモヒカンだ。そうに違いない。あたしたちを追って来た盗賊を返り討ちにしたのだ。決して通りすがりのパンピなどではない。そう自分に言い聞かせる。はい、解決。

「あぁぁーーひゃっひゃっひゃっ!!」

 そんなあたしの葛藤など知ったことかとばかり、舌とよだれを垂らしながら熊は右腕をぐるんぐるんと回す。あたしを抱えた左腕をそうしないだけの理性はまだあるようだが、それも時間の問題という気がすごくした。てゆーかあたし今かつてないくらいにピンチじゃないのこれ!?
 
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