□第十六夜 琥珀のメモリアル
13ページ/20ページ

16-3 非常の日常(1/3)

 
 歌が聞こえた。幾百幾千の星の瞬きにも似た、重なり響く命の旋律。祈りを捧げるゴスペルのようで、戦士を鼓舞するマーチのようで、恋人へ贈るセレナーデのようで、極光のように揺らめく音色はまるで掴み所がなく、なのにどこまでも強く真っ直ぐに世界を駆け巡る。

 夢を見た。長い長い、夢だった。
 夢と現の狭間に彷徨う意識は朦朧と、霞がかった記憶は何か、何か大事なものをどこかへ忘れてきたと、そんな気がした。
 のそのそとベッドから起き上がる。カーテンの隙間から差し込む朝陽をぼけっと眺める。
 りん、と。どこからか涼やかな音が聞こえた。はたと振り返る。枕元でけたたましく目覚ましが鳴り響いていた。僅かに眉をひそめて、私は目覚ましを止める。
 記憶を巡る。朧月のように不確かな、夢とも現とも分からぬ記憶を。ものの数秒。ふ、と笑う。私は、すぐに考えることを止めた。

 壁に掛かった制服を手に取って、着替えを済ませて自室を後にする。階段を下りると朝餉のいい匂いが鼻をくすぐった。

「おっはよー、ヒナ!」

 リビングに入る。そんな元気な声に迎えられて、私は小さく溜息を一つ。

「おはよう」

 それだけ言って、洗面所へ向かう。
 ぱしゃり、と水が跳ねる。心地のいい冷たさに少しだけ頭が冴えてくる。

 リビングへ戻っていつもの席に腰掛ける。ふわ、と欠伸を一つ。煎れたてのお茶を一口すする。ふう、と息を吐く。

「何、してるの?」

 向かい側の席で出し巻き玉子を頬張る少女へ問い掛ける。少女は一瞬きょとんとしたように私を見て、

「朝ごはん、いただいてる」

 そう言ってお味噌汁をすする。私は「そう」とだけ返して、静かに手を合わせた。

「いただきます」

 玉子焼きは、今日も美味しかった。

 朝食を終えて家を出る。少し早いか。まあ、たまには朝の散歩もいい。伸びをしながら通学路をゆっくりと歩く。

「あーん、待ってよぉ」
「道違うでしょう、マリー」

 中学はあっちよ、と十字路の右を指して、私は振り向きもせず真っ直ぐに進む。

「大丈夫ー、まだ早いよヒナぁ」

 セーラー服の裾をひらひらとさせて、マリーは笑う。私はまた、溜息を零す。

「ねえ、というか、いい加減どうかと思わない? その呼び方」
「えー? だって呼び捨てでいいって言ったしー」
「そんなこといつ……」

 いつ、言った――?
 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ