□第十三夜 翡玉のヘスペラス
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13-2 義戦の英雄(1/4)

 
 進化、ではない。それは変異。
 ぼこぼこと、泥の中から気泡が沸くように体表が不規則に隆起する。絡み付く黒い何かもまた鳴動し、その旋律が耳を刺す。
 私は頭を押さえながらベヒーモスにもたれ掛かり、それでもどうにか視線を上げる。

「何よ……これ」

 誰にともなく呟くラーナモンの声は震えていた。
 気泡が弾けるようにメルキューレモンの体が次第に形を失い、黒と交わり空へと昇る。屍が燃えてその黒煙が高く高く立つかの如く。いつしか慟哭に似た叫びさえも溶けて消える。
 それはまるで押しては返す波。流動する黒が不気味にうごめいて――そうして、やがて突然に静止する。嵐の前の静けさ、なんて言葉がこれ以上ないほどにしっくりとくる。
 事実、静寂は僅か一呼吸の間。

 凍り付いた黒が砕けて散って、異形の怪物が現れ出る。数個の球体が数珠繋ぎになったその長躯には幾つもの目玉。最上部に位置する球体には人間のそれに似た口。深く、不気味な息遣いが分厚い唇の間から聞こえた。
 すう、と静かに息を飲む。異形は唇をゆっくりと開いて、目のない顔で空を仰ぐ。そして、瞬間。

 異形の口から吐き出されたのは咆哮。産声だろうか。あるいは怒号か。人が知るどんな生き物の鳴き声にも似つかぬ、人ならざる叫び声。まるで地獄の釜の隙間から漏れる死霊の金切り声。あえて形容するなら硝子板で爪を研ぐ音を幾重にも重ねた、とでも。
 嫌悪感と不快感、そして恐怖を駆り立てるそれ。そんな不協和音が頭の芯を掻き、脳から四肢への伝令が阻害されるかのように足元がふらつく。

「ヒナタ、耳塞いで下がってろ……!」

 言ったインプモンの額にも脂汗が滲む。
 異形の怪物はその身の無数の目玉でインプモンとラーナモンをぎょろりと舐めるように見据え、そうして、唇がにたりと笑みの形に歪む。獲物を見付けた、ケダモノのように。
 雄叫び。狂喜に充ちたそれは理性的なメルキューレモンとはまるで異質。長躯を蛇のようにうねらせ、鎌首をもたげる。

「来るぞ! 気をつけろ!」
「分かってる!」

 インプモンが指先に炎を点し、ラーナモンが足元の水溜まりへ指を振る。未知なるものへと対峙する二人の顔は険しく、それはまるでデジモンとしての本能が警鐘を鳴らしているように。
 互いに睨み合い、一触即発の張り詰めた沈黙。歯牙を軋ませ、そして刹那――雷が、開戦を告げた。
 
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