□第四夜 紫煙のラスト・エンプレス
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4-3 魔王の物語(1/4)
まるで見えざる手がそうするように。外も内も、誰も手を触れていないというに。アンティークな扉はゆっくりと、ひとりでに開いてゆく。
甘い香が鼻を衝いた。薄暗い部屋から紫煙が漏れる。まさに“色欲”の名に相応しい、とでも言うべきか。頭の芯がくらりと揺れた気がした。
「よう来たのう。近う寄れ、異界の迷い子よ」
宮廷の寝室を思わせる暗い色調の部屋。柔らかなベルベットの奥で、紫紺をまとう艶やかなその女性は、掲げていた手をそっと下ろす。途端、小さく風が逆巻いた。
言い知れぬプレッシャーに思わず二の足を踏むも、バステモンに促されそろりそろりと部屋へ踏み入る。
「大儀であった。下がってよいぞ」
紫紺の艶やかな唇が、まるで拍子を刻む笛の音のように言葉を紡ぐ。レディーデビモンが礼をし、バステモンが手を挙げた。
「畏まりましたリリスモン様」
「はーい、お母さまー!」
天蓋付きのベッドの上、ベルベットの隙間で細い指が踊る。風が私の頬を撫で、扉がゆっくりと閉まってゆく。そして柔らかなベルベットがオーロラのようになびいて、ふわりと二つに割れる。
「ヒナタ、と言うておったか。わしの名はリリスモン。七大魔王が一柱……色欲のリリスモンじゃ」
どこか気怠そうに。ワインレッドのソファベッドにすらりとした肢体を沈め、色欲の魔王・リリスモンが私たちの前にその姿を見せる。
肢体の線をそのまま描くような黒衣の上に、着崩した紫紺の絹をまとい。髪は烏の濡れ羽色。まげを結い、きらびやかなかんざしを差す。唯一怪物然とした金の右腕を除けば、その容姿は今まで会ったどのデジモンよりも人間らしい。のに。ただ在るだけで気圧されそうな存在感が、ここに魔王在りと、厳かに物語る。
「どっ、どうも。はじめまして」
気付けば背筋は針金を挿したように伸び切って、声は裏返る。リリスモンの唇が薄く笑みの形に歪む。差した紅が毒々しく燭台の灯に照った。
「それに、蝿の坊や。今はインプモンかえ? 久しいのう」
「坊やは止めろババア。前置きはいいから話してくれ」
そんなインプモンの物言いには思わず肝が冷えた。しかしリリスモンは気を悪くした風もなく。
「ほほほ……相も変わらぬ勇猛よ」
なんて、どこか楽しげで。しかし一拍を置いた後、微笑むリリスモンの口角が僅かに下がる。魔王は静かに、では、と続けた。