□2018年 夏期
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【獅子搏兎】


 王には、もはや逃げ場などなかった。
 配下の兵たちはことごとく倒れ、妃は奪われ、領土は踏みにじられ、城は陥落した。陣内を埋め尽くす黒は敵国の旗。自国の白などどこにも見えやしない。
 ここから打てる手など残されているものだろうか。否、あろうはずもない。逆転の可能性は、とうに尽きていた。

 王は逃げ惑った。守るものはもう己の命のみ。そのたった一つを守ろうと、必死に逃げた。惨めだと、わかっていながらもそうすることしかできなかったのだ。
 敵は手を緩めなかった。僅かに残った兵さえも、戦意などない敗残兵にさえ容赦はなかった。
 それは戦いなどではなかった。圧倒的強者がただ弱者を蹂躙する。そんなものが戦いなどであろうはずがない。

 一つ、また一つと逃げ道を塞ぎ、いたぶるように追い詰めていく。
 遊ばれていることはわかっていた。
 見えるはずもない遠方から兵を動かす黒の軍の指揮官が、にたりと笑った気がした。

 気がした、ので、とりあえずドロップキックをかますことにした。

『どおりゃああぁぁーー!』

 なりふり構わず戦場を横断し、白の軍の指揮官――頭とお尻に卵の殻をつけたヒヨコは、短い脚でとてとてと走って跳んで、黒の軍の指揮官――王冠を被ったロバを蹴り飛ばす。
 跳ぶヒヨコ、飛ぶロバ、ともに倒れて少し、ヒヨコはむくりと起き上がる。そうして肩ではあはあと息をして、よよよと泣き崩れる、ようなモーションをしながら叫ぶのだ。

『ひとでなしー!』

 ロバも立ち上がり、やれやれ、と言いたげなモーションをし、頭の上のふきだしに溜息の顔のスタンプを表示する。

『子供か。君がしてみたいと言い出したのだろう』
『やさしく教えてって言ったもん!』

 黒が白をぼっこぼこにした戦場――巨大チェスボードを振り返り、白の側の指し手、ヒヨコはぴよぴよぷりぷりと目一杯のモーションで怒りを表現する。
 それを傍から見ていた羽帽子のネコと警察官帽子のイヌは、「汗」と「沈黙」のスタンプを押す。

 SNSアプリ――“ひゅぷのす”。
 それは動物型のアバターを作成し、チャットや通話、ブログ、様々なゲームを楽しめる多機能コミュニケーションアプリである。
 仲間内でサークルを立ち上げることもでき、オープンスペースでは話しづらい報告や相談のため、彼ら四人、ネコとヒヨコとロバとイヌ――ヒナタとマリーとアユムと灯士郎は、サークル専用ルームに度々集まっていたのだ。
 もっとも、こちらへ帰って随分と経った今となっては、デジモンについて話すこともそれほどなくなり、単に同じ秘密を共有する気心の知れた友達と遊んでいるだけ、なのだが。

『ふ、獅子は兎を狩るにも全力を尽くすというだろう』
『ヒヨコとロバだし』
『もう、二人とも。喧嘩しないの』
『あーい』

 そんなヒヨコの返答には、眉毛を八の字にして唇をとんがらせている本人の顔が容易に想像できて、ネコとイヌとロバ、の中の三人は揃って溜息を吐く。

 それは、かつて世界の命運を懸けて戦った子供たちの、その後のある日常のひとコマであった。


-終-



SS第88弾は【獅子搏兎】。
なんだかんだでまあまあ仲良し。
 
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