□2018年 春期
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【ポイント・オブ・ノーリターン】


 その限界を数値化するのであれば、残りは六割弱といったところだろうか。

 辺境の長閑な小世界で生まれ育った俺には、幼い頃から憧れ続けた夢がある。
 寝物語に聞かされてきたのはとある英雄譚。世界が危機に瀕した時、別世界から現れる救世主・選ばれし子供とともに巨悪へ立ち向かう。そんな物語だった。
 どうすれば救世主の相棒になれるかなんて、そんなことはわかるはずもないけれど、俺はただ努力を続けた。身体を虐め抜き、自分を限界まで追い込んで、英雄たりうる強さをひたすらに追い求めた。
 その甲斐あってか、いつしか俺は近隣では名の知れた戦士となっていた。だが、それが井の中の蛙に過ぎないことは誰より俺自身が理解していた。
 だからこそ、この狭い世界から飛び出そうと、そう決意したのだ。
 広い世界を旅し、まだ見ぬ強者たちと戦い、更なる高みへ。英雄そのものには、もしかしたらなれないのかもしれないけれど、英雄の助けくらいには、自分たちの住む世界の平和を守る手助けくらいはしたいと、そう願った。

 旅立ちの朝、ともに研鑽を積んだ仲間たちと、世話になった村の皆に別れを告げる。
 初めは俺を笑うものもいた。冷ややかな目で見るものもいた。しかし今では「お前ならできる」と皆が背中を押してくれている。
 皆の期待と信頼を胸に抱き、俺は産湯を浸かったこの故郷を発つ。
 白んだ朝の空は真っ白なキャンバスにも似て、無限の夢を描くに相応しい。山間から覗くリアルワールド球が進むその道を輝くように照らし、この旅路を祝福してくれているようだった。

 その時点では、間違いなく問題はないはずだった。十割、あるいは九割強だったのだ。

 異変に気付いたのは昼過ぎのことだった。
 地図は持っている。以前にも実際に訪れたことがあり、知った道だった。次の宿場町には夕方頃には着くだろう。問題は、何もないはずだった。
 そんなはずは、なかったのだ。
 こんなところで奴と出くわすなど、あるはずがなかったのだ。

 街道の途中で一度だけ立ち止まり、辺りを見渡す。
 遮るものが何もない平野の街道。見る限り周囲には誰もいない。いないが、ここはキャラバンも利用する道だ。すぐに誰かが通り掛かってもおかしくはない。
 ここで奴との戦いに臨むのは、あまりにリスクが高すぎる。
 町に辿り着けさえすればどうとでもなろう。しかし、間に合うかは五分五分といったところだった。

 村まで引き返すか。だがそれもまたリスクを伴う。こうして迷っている間にも刻限は確実に迫っている。決断せねばなるまい。
 思い返せば昨晩、俺の送別のために皆が開いてくれた宴。そこで既に、種は蒔かれていたのだ。あるいは選択を間違えねば、こうはならなかったのかもしれない。
 いや、今になってそんな後悔など何の意味もない。今は、前を向くしかないのだから。

 そして俺は、決断をする。
 進もう。道は、前にある。
 賭けであることは否めない。それでも、俺は前へ進むと覚悟を決める。
 一歩、また一歩と進み、やがて我が身の限界が五割を切った時、その境界を自ら越えて、俺は果てしない空を仰ぐ。

 もはや引き返すことの叶わぬ故郷に思いを馳せ、昨晩の宴を思い返す。

 芋だ。そう、芋だった。俺の故郷は、芋が名産なのである。なれば宴の席に多くの芋料理が並ぶことは必然といえよう。それに手をつけることも当然だ。それが、まさかこんな事態になるなど想像できるはずもないではないか。
 いくら腹の限界が迫ろうと、恰好よく旅立っておいて「うんこがしたい」と帰るなど、できるはずがないではないか……!

 腹よ耐えよ。便意よ消えよ。トイレはどこだっ!?

 それは、後に世界の危機を救うかもしれないとある戦士の、若き日の孤独な戦いの記録であった――


-終-



SS第85弾は【ポイント・オブ・ノーリターン】。
母の日にやる話では絶対にないよね。
 
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