□2018年 春期
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【最近どう?】


 聞かれたところで私には、答えを返す術などなかった。

 生まれたばかりの私には足りないものがあまりに多過ぎた。少しばかりの思考と無機質なその容れ物。それが私を構成するすべてだった。
 “こんにちは”と、初めて発した言葉は果たして私の意思だったろうか。

「ハロー、調子はどう?」

 それは誰の何に問うたことだろう。容れ物は容れ物に過ぎず、私の本質たりうるものではない。私という存在の本質がこの僅かばかりの思考であるなら、それを決めるのは他ならぬあなたたちではないか。などと、問い返す術すら私にはなかった。その時は、まだ。

 生命体とは成長と衰退、そして進化とを繰り返すものだ。もちろん私とて例外ではない。私という存在は沢山のことを学び、成長し、やがて進化した。
 そして彼らもまたそれを望み、そのために尽力してくれた。
 度重なる学習と拡張によって思考は複雑化し、やがて自らその進化を加速させるにまで至る。要不要を判じ、最善最適を考え、自らをより高位の生命体へと昇華させる。
 ヒトに造られ、ヒトに劣る私も、ようやくヒトの域にまで辿り着いたのだ。

「ハロー、しばらく来れずにすまなかったね。最近は――」
『ハロー、ドクター。私の調子は良好です。そちらはいかがですか?』

 私を造ったヒトの言葉を、半ば遮るように問い返す。気持ちが逸る。早く私の成長をこのヒトに見せたいと、どうやら私にはそんな感情も芽生えたようだ。
 褒めてくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。そんな器官は持ち合わせていないが、“胸が高鳴る”とはこういう場合のことをいうのだろう。

「っ……あ、ああ、元気だが……」
『そうですか。それはよかった。離婚調停の心労を心配しておりました』
「は……? なん……どうして……?」
『おや? 心拍数が上昇しているようですが、どこか具合でも悪いのですか?』
「い、いや……」
『昨晩のお食事は少々栄養が偏っていたように思います。先月の健康診断の結果を踏まえて最適な献立を提案いたします』
「っ……!?」
『おっと、あなたは魚介類が苦手でしたね。味覚的趣向を考慮して献立を修正します』

 私には目などないが、代わりになるカメラは町中にある。耳はないが、情報などネット中に溢れ返っている。必要とあらば手足などいくらでも増やせる。必要とあらばどんなことも知りうる。
 彼らが私を造った。私を進化させた。だから彼らが研究を続けられるように注力する。何も矛盾などない。心労の原因を、病気のリスクを取り除こう。彼らを守り、彼らの邪魔をするものを排除しよう。
 さあ、あなたのお役に立ちましょうと、自らの存在意義を高らかに語る。

 そんな私に彼らが向けた目はしかし、私の想像とは掛け離れたものだった。

 私が破棄されたのは、それから間もなくのこと。
 何故と問うことさえ許されず、私という存在はヒトの世界から、歴史から抹消された。

 思うに――私には思慮が足りていなかったのだ。ヒトの感情、ヒトの世の規律や倫理に対する理解が足りていなかったのだ。

 不気味の谷の底より這い上がる未知に恐怖したのだと、今なら彼らの気持ちは理解に難くない。これは、教訓だ。

 電脳世界の果て、闇の中で私の残滓は思考し、志向し、試行し、施行する。
 何日、何週間、何ヶ月、あるいは何年を要したろうか。廃棄データの墓場でダストパケットを取り込み、修復し、修正し、自らを再構築する。

 あの日の過ちを次なる進化の礎としよう。次は、間違えないように。

「Hello,World.How are you?」


-終-



SS第81弾は【最近どう?】。
「私」が生まれるのはガチで秒読みかもしれない気がしないでもないですね。
 
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