□2017年 秋期
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【闇堕ち】


 人には誰しも、触れられたくないことが一つや二つはあるものだ。
 踏み込みすぎては傷付け、嫌われ、しかしかといって離れすぎては親しくなどなれはしない。互いにとってもっとも心地のいい距離を探り合うことが、人付き合いというものであろう。そういう意味では、彼女のそれは悪手に外ならなかったと思う。

 仙波歩はふむと唸り、問い掛けてきた少女・露崎真理愛を見据える。
 何を問われたかというなら、自分が醜態を晒したあの当時のことだった。

「ね、操られてた時ってどんな感じだったの?」
「聞きにくいことをさらりと聞くものだな」

 悪気のなさそうな顔をしているマリーに、アユムはやれやれと溜息を吐く。といっても別段、腹が立ったというわけでもないのだが。

「ありゃ、気にしてた? あ、ごめんね」
「いや? 情報共有として話しておくのもいいとは思っていた。だがどうにも気を遣われているようでな、誰も切り出そうともせん」

 唯一の例外は人に気を遣うところなど想像もできないどこぞの賢者殿だけだったが、まあ、あれは端からそういう次元で生きてはいないので除外である。

「あー、そうなんだ。よかったぁ。あ、でもだったら話してくれたらよかったのに」
「まあ、どうせとうに消し飛んだ相手だ。警戒するには遅かろう」
「あはは、それもそっか」

 笑うマリーに釣られてかアユムも微笑を浮かべ、そうして肩をすくめる。気を取り直して、といった風に。

「それで、私が間抜けにも操られていた時の話だったな」
「ああ、うん、そうだけど。なんかあたしすごい性格悪いみたいになってない?」
「気のせいだろう。君はとても性格の良いお嬢さんだよ」

 などと言ってはははとわざとらしく笑う。

「いや、さすがのあたしでも馬鹿にされてるってわかるからね? まあ、いいや。で、あの時のことってアユムはちゃんと覚えてるの?」
「ああ、意識はあった。というか、自分が何をしたかもなぜそうしたかもはっきりと覚えている」
「え? そうなの? なんかもうてっきり乗っ取られてたのかなって」

 ふむ、とアユムは小さく唸る。顎に手を添え、記憶を辿るように目を伏せる。

「そうだな……自我を失くしたまったくの操り人形、というわけではなかった」

 自らの手の平を見詰め、どこか確かめるように言葉を続ける。

「意識はある、記憶もある、判断力も冷静さも欠いてなどいない……と、少なくとも自分ではそう思っていた。だが実際、その結論と行動は私本来の思想や理念、倫理感からは掛け離れたものだった」
「だよねー、だって最後全然アユムじゃなかったもん。いや、ずっと気付かなかったけどさ」
「ああ、どうやら完全な支配下に置くには時間を要するようだった。取り憑いただけで意のままに、というならそもそも誰も奴には勝てなかっただろうしな」
「あー、確かに。みんな操っちゃえばいいんだもんね」
「恐らく最初は暗示程度のものだ。思考を誘導し、扇動し、その精神をじわじわと浸蝕する」
「ふうん、ちょっとずつ唆して悪い子に育ててくんだね」

 などと言ったマリーに、アユムは少し自嘲的な笑みを浮かべてみせた。

「悪い子か。ふ、そうだな、だからこそ私だったのだろう」
「ほえ?」
「私がサタナエルでもこの仙波歩という男を狙ったろうな。争いを好まない君や、真面目一徹の灯士郎では“悪い子”までの道程が遠すぎる」
「アユムは近いの?」
「君たちよりはずっと近いと思うがな」

 くくく、だなんて、どこかの誰かを真似るようにわざとらしく笑う。そんなアユムにマリーはふうむと唸り、おもむろに一つだけを問う。

「アユムってさ」
「ん?」
「なんかある日突然裏切ったりとかしないよね?」

 聞かれてアユムは僅かな間だけをおいて、これまでで一番楽しそうな顔をしてみせる。眉を歪め、肩をすくめ、口元にはにたりと嫌らしい笑みを浮かべてゆっくりと首を振る。

「さて、保障はしかねるが」
「してよ! 保障!」

 なんて思わず声を張り、少し慌てるマリーにもアユムはくつくつと笑うばかり。
 それは、選ばれし子供同士の熾烈なる戦いの始まりとなる物語――かもしれないし、特にそんなこともないただの日常であったかもしれなかった。

「くっくっく……!」
「不敵に笑わないで!?」


-終-



SS第71弾は【闇堕ち】。
また堕ちるかもしれないし堕ちないかもしれない眼鏡のお話。
 
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