□2017年 春期
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【彼女の嘘】


 最近、彼女の様子がおかしい。

 幼稚園からずっと一緒だった幼なじみと、正式に交際を始めたのはつい先月のこと。街でスカウトされてファッション誌の読者モデルもしている彼女は、昔から近所でも評判の器量よしだ。土いじりだけが趣味の地味な僕には勿体ないほど。
 そんな彼女はここしばらく、僕と距離を置こうとしている節がある。
 不釣り合い、だなんて、誰より僕自身がわかっていた。

 彼女が随分と年上の男性と一緒にいるところを見たと、そんな話を共通の友人から聞かされもした。夜中に大きな荷物を持ってどこかへ出掛けるところを見たという知人もいる。
 僕が望むのは何より彼女の幸せだ。それを叶えられるのが僕でないのなら、彼女が幸せなら僕は身を引いても構わないとさえ思っている。ただ、もし何か事情があるのなら、僕は他の何をなげうってでも彼女の力になりたいのだ。

 何か、僕に手伝えることはあるかな。

 そう問い掛けた僕に彼女は、少しだけ驚いた顔をして、少しだけ迷うような顔をして、けれどすぐにいつもどおりの凛とした顔で、大丈夫よと、そう言った。

 親戚のおじさんが来ているの。奥さんと喧嘩して家を追い出されちゃったんだって。

 彼女が溜息を吐きながら話してくれたのはそんな、他人が立ち入るべきではない親族間の事情だった。
 彼女がそう言うならと、僕はそれ以上を聞かず、そっか、と笑いかける。
 去り際の彼女がどこか苦い顔をしていたことには気付いたけれど、僕はただ、彼女が頼ってくれる時を待つことしかできなかった。情けない男だと、心底そう思う……。



 彼と別れた彼女は真っ直ぐに家へと帰った。
 自室に戻り、そこにいた先客の顔を見て目をつむり、瞼の裏に彼の顔を思い浮かべて溜息を吐く。
 どうかしたかと、“親戚のおじさん”は彼女の部屋のソファに我が物顔で腰掛け、俯いて沈んだ顔の彼女に問い掛ける。
 彼女は、何も答えなかった。
 慰めてやろうかと、“おじさん”はそう言ってにやりと笑みを浮かべる。
 そんな言葉に彼女は小さく息を吐き、顔を上げる。頬は少し紅潮し、目は潤んでいるように見えた。

 彼女は“おじさん”の正面に立ち、おもむろに脚を上げる。そうして――どすりと、その長い脚を“おじさん”の顔面へとめり込ませる。“おじさん”は顔を押さえて悶える。

「ぬぅおぉ〜……! な、なんや? なんでや!? なんや嫌なことあったんやろ!? せやからおっちゃん慰めたろかいなて……!」
「黙れ。死ね。消え失せろ」

 言った彼女の表情は、怒りに赤らんだ肌色とは裏腹に、冷たい氷像のようだった。
 彼女はもう一度脚を振り上げて“おじさん”の顔面へ、中年男性の顔から手足が生えた謎の生物へと続けざまに蹴りを見舞う。

 ごっごっごっごっごっ。

「痛い痛い痛い痛い痛い!」

 ごっごっごっごっごっ。

「痛い痛い痛い痛い痛い!」

 ごっごっごっごっごっ。

「痛い痛いいた……いや、ちょお待って!? おっちゃん死んでまうで!?」
「死ねっつってんのよ。えげつない誤解されてんでしょうが、あんたのせいで」
「誤解? お? なんやまた例のダーリンかいな。嬢ちゃん、ほんま好っきゃな〜。ツンデレか?」
「うっさい、黙れ。とにかく出てけ」
「んな殺生な。優しゅうしたってや」
「し過ぎたくらいよ。てゆーか何? あんた他の人にも見えてんの? 見たって知り合いいるんだけど」
「うん? そらぁまあ、みんなやないけどちょいちょい見えとう奴もおるがな」

 捕まえろ、どっかの研究機関。今すぐだ。遠慮はいいから解剖しろ。あたしが許す。

「もう……何なのよあんたは」
「何なのて、せやからナニモンやぁ言うとるがな」
「いや、だからそれが何なのって聞いて……あー、もういいわよ。とりあえず他当たれっての」

 河原で行き倒れているのを見付けて餌をやったのが運の尽き。仏心が徒となった。そのまま家に居着いてかれこれ一週間だ。夜中にこっそりバッグに詰め込んで不法投棄しに行ったりもしたが、翌朝普通に帰ってきた。一体この疫病神はどうすれば祓えるというのか。

 どこで拾ってきたのか競馬新聞を広げて読み出すナニモンに、彼女はただただ頭を抱えるばかりであった。

 ナニモンが「寒なってきたから南行こかな」と出ていくのはそれからしばらく後のこと。
 後に彼女は愛しの彼と結ばれることになるのだが、今回の一件が二人の仲にどんな影響を及ぼしたのか、あるいは特に何の影響もなかったのかは誰にもわからない――


-終-



SS第62弾は【彼女の嘘】。
OYAJI、みたたび。
 
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