□2016年 夏期
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【ただいま】


 ただいまと主人が言えば、おかえりと、タネモンはそう返した。その言葉の意味をちゃんとは理解できていなかったけれど、タネモンにとってはとてもとても大切なやり取りだった。

 タネモンがリアルワールドに迷い込んできたのはまだ、生まれる前のことだった。理由は定かでない。偶発的なゲートに巻き込まれたか、誰かが意図してそうしたか、いずれにせよデジタマだったタネモンには知る由もないことだった。生まれた時、目の前にいた人間が何者だったかさえも、結局最後までよく知らないままだった。
 タネモンにとっては生まれたその家と、その人間だけが世界のすべてだった。だからその片方を失うことなど、タネモンにしてみれば世界の半分が壊れて失くなるようなものだった。

 その人間は、ある日を境に帰って来なくなった。
 勿論理由なんてタネモンにはわかるはずもなかった。だから、タネモンはただ待ち続けた。

 進化を繰り返せばいずれ、タネモンはデジタルワールドへ帰れたのかもしれない。当てなどないにせよ、進化するたび磁場や空間に与える影響は大きくなり、なにより活動範囲も広がる。運任せとはいえ、ゲートに遭遇できる確率は飛躍的に上がるはずだ。けれどもタネモンは進化をしなかった。あるいは、できなかった。
 人とともにいる為、強く大きくなることを無意識に拒んでいたのか。それとも、人間世界へ迷い込んだ際に進化因子に関わるデータが破損するでもしてしまったのか。いずれにせよタネモンは、いつまで経っても幼年期のままだった。弱く小さなまま、ただ待ち続けた。

 タネモンが独りぼっちになってから半年が過ぎた。植物に近い身体構造を持つタネモンは光合成を行うことができ、水以外に食料を必要としなかった。だからずっとずっと、待ち続けられた。
 もしかしたら事故にでもあったのかもしれない。病気にでもなったのかもしれない。タネモンが煩わしくなって置いていっただけかもしれないし、止むに止まれぬ事情があってそうしたのかもしれない。理由はいくらでも考えられたけれど、タネモンには待ち続ける以外にできることなど何もなかった。

 季節が巡り、年が明け、それでもタネモンは待ち続けた。それでもその人間は帰って来なかった。

 タネモンはいつしか噂になっていた。誰もいない廃屋から子供の声が聞こえるという、怪談としてであったが。
 噂を聞き付けた人間が度々やってくるようになった。タネモンはうまく隠れてやり過ごすようにしていた。たまに見付かってしまうこともあったけれど、だからといって何がどうなる訳でもなかった。
 中にはタネモンのことを、正確にはデジモンという存在を知っている人間もいたけれど、タネモンにとっては関係のないことだった。保護するだとかなんだとか、何を言われようともタネモンは頑としてその家を離れようとしなかった。

 十数度目のある冬の夜、タネモンはまどろみの中で声を聞いた。いやに暖かい夜だった。光の粒が舞い散る中でタネモンは、確かにその声を聞いたのだ。待ち焦がれた、懐かしいその声を。
 おかえりと、そう言おうとしたけれど、どうしてだかうまく言えなかった。ぱくぱくと口だけ動かして、動かして、遠ざかる微笑みと自らを包み込む光にタネモンは、やがてそっと瞼を閉じた。

 夢だったろうか。幻だったろうか。いや、それは確かな現実だった。待てど暮らせど帰らぬあの人は、ただ遠い光の中にいた。
 タネモンは理解した。それでも満足だった。だからタネモンはただぽつりと、あの言葉を呟いた。知りもしない、懐かしいあの場所で――


-終-



SS第43弾は【だたいま】。
ハッピーエンドかもしれないしそうじゃないかもしれないお話。なんにせよ字数が足りてないのは確かですけれども。
 
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