□2015年 冬期
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【ルクスリアの甘い罠】


 デジタルワールドの表層に広がる“物理レイヤの荒野”に、その城はぽつりと佇んでいた。
 草木もろくに芽吹かぬ荒れた大地のど真ん中で、あまりにも場違いな花畑に囲まれそびえる白亜の城は、七大魔王が一柱たる“色欲のリリスモン”の居城である。
 建造からゆうに数百年もの歳月を経ようとも、世界が幾度の戦火に包まれようとも、女帝の城は変わることなく美しいまま、そこに在り続けていた。
 世界の征服を目論む他の魔王も、それを敵視する天の軍勢も正義の騎士たちも、誰一人として彼の女帝と事を構えるなどしようともしなかったのだ。

 だがその不可侵の城に今、一人の来訪者があった。それは、あるいは女帝と矛を交えることにも一片の躊躇すら抱かぬであろう狂喜の士。恐れを知らぬ、戦いの申し子――

「よう来たのう。遠慮は要らぬ、近う寄れ」

 燭台の火だけが灯る薄暗い部屋の中。ソファベッドにもたれたままくいと、リリスモンが誘うように手招きをする。ち、と来訪者は舌打ちを一つ、ただ静かに歩みを進めた。その目に湛えた感情は友愛でも忠誠でも畏怖でもない。それは、言うなれば神の理にさえ抗わんとする“反逆者”の眼差しであった。

「わざわざ使いなんぞ寄越しやがって。一体俺に何の用だ」
「ほほほ、そう警戒するでない。なに、そちに一つ贈り物をと思うてのう」

 などというリリスモンの言葉に、来訪者は訝しげな顔をする。物を贈られる覚えなどあるはずもなかった。
 目的はなんだ。罠か? 何を企んでいる?
 疑心暗鬼に視線と思考を巡らせる。一挙一動を見逃してはならぬと、一言一句を聞き漏らしてはならぬと、警戒心の網を張る。
 そんな来訪者にも、しかしリリスモンはさして気にする様子もなく笑みを浮かべたまま。傍らに控える侍女に目配せをする。侍女は礼を一つ、一度部屋の奥へと下がり、やがて小さな箱を持って戻ってくる。

「さあ……とくと味わうがよい」

 すん、と来訪者が小さく鼻を鳴らす。そうして、その目を見開くのだ。侍女がテーブルに置いたそれを凝視し、わなわなと震える。

「お前……!」

 顔を上げ、睨み付けるようにリリスモンを見据える。本気なのかと。本当にいいんだなと、眼差しで問えばリリスモンはただ微笑を浮かべる。
 来訪者は躊躇いがちにそっと手を伸ばす。罠である可能性も捨て切れない。それでも、手を出さずにはいられなかった。来訪者のその目が――反抗期の悪ガキのようなインプモンのその目が心なしきらきらと輝く。
 卓上のそれを、まるで香水のように香り高く宝飾のように美しいそのチョコレートを手に、よだれをだらりと垂らしてもう一度リリスモンを見る。女帝がうむと頷けばもはや我慢も限界。インプモンは、チョコレートを口にする。
 とても、とても美味であったという。

「素材から厳選に厳選を重ね、ここに控える一流の菓子職人が技術の粋をもって作り上げた至高の一品じゃ。見事なものであろう」
「リアルワールドの“バレンタイン”という風習でございます。何でも意中の相手にチョコレートを贈るとともに想いを伝えるのだそうで……」

 侍女でショコラティエなレディーデビモンのそんな言葉には思わずリバースしそうになるが、口を押さえてどうにか鼻水だけに留める。これを吐き出すなどとんでもないことであった。

「興味深い風習であろう。じゃがどうにも適当な相手がおらんでな。そんなわけで愛しておるぞ、蝿の王よ」
「んぐっ、ぐ……いや、気持ち悪ぃっつの。つかそいつらでいいじゃねえかよ」
「ほほほ。両想いでは物足りんでな」
「んだそれ」
「ちなみにちょうど一月後には贈られた側からお返しをするそうじゃ」
「おい……おい! つーかそれか目的! ふざけんなよこら! 誰が……!」

 とまで言ったところでびりりと、頭に走る謎の痛みに「あぎゃ!?」と思わず変な声を漏らす。そんなインプモンをまじまじと見据え、リリスモンはふうむと唸る。

「素材以上に厳選した絶対遵守の呪いであったはずじゃが、やはりあまり効いてはおらんのう」
「そのようでございますね」
「おいこらババあぁぁぁ!?」
「まあよい。嫌がらせ程度にはなっておるようじゃし」
「待てこらぁぁぁ!!」
「では一月後を楽しみにしておるぞ」
「こちらが贈り物のリストでございます。まずは万魔殿に程近い憂いの谷に咲くという幻の花を……」
「ぅおおぉぉぉい!?」

 荒野の城に絶叫がこだまする。こうして、インプモンのあまりにも長い一月の旅は、否応なく始まることとなる――


-終-



SS第31弾はバレンタインイラスト連動【ルクスリアの甘い罠】。
男には、やらねばならぬ時がある。
 
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