□2015年 冬期
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【阿婆擦れ】


「なあ、アバズレって何だ?」

 彼女がそんなことを聞いてきたのは、ある週末の昼下がりのことだった。

 都心から外れた郊外、ちらほらと田園風景も見える片田舎の古い剣道場。その軒先で、休憩中の門下生である少年に問い掛けたのはおよそその場に似つかわしくない出で立ちの少女であった。

「品行の悪い女。というような意味だが」
「あぁ、なるほどな」

 タオルで額の汗を拭い、長身長髪の少年が返せば少女は自嘲気味に鼻で笑う。
 道場の跡取りである少年は長髪を髷のように結い、胴着姿も相俟ってその風貌はさながら現代の侍。対する少女は派手な金髪にスカジャンと、いかにもヤンチャしてますと言わんばかり。どう間違っても接点など持つはずもない二人はしかし、さも当たり前のように言葉を交わしていた。

「この前喧嘩した時言われてよー。悪口なのはなんとなくわかったんだけど」

 胡座を掻いて唇を尖んがらせ、少女は面白くなさげに言う。頬の湿布はそのせいかと、少年はそんな少女を見ながら溜息を吐く。

「マオ、喧嘩はよくない」
「出たよ、ちょー正論」

 ぷうと頬を膨らませて茶化すように言う。けれど少年の真っ直ぐな目に、すぐにバツの悪い顔でうなだれる。

「わってるよ。でもさぁ……」
「また道場の陰口か。俺も師範も気にはしない」

 そう言って少年は小さく笑う。
 元熱血高校教師であった師範こと少年の祖父は、昔かたぎの頑固親父である。非行に走る少年たちを放ってなどおけず一人一人に説教を打ち噛まし、必要とあらば鉄拳制裁を加えた揚句「その根性叩き直してくれよう」と無理矢理道場へ引っ張ってくる。そんなことを繰り返す内、今やこの道場は悪ガキの更正施設として近所で有名になっていた。
 ただ、事情を知らない人間からは不良のたまり場に見えても仕方のないことだったろう。

「お前はそーだろーけどさー」
「いいんだ。怒ってくれるのは嬉しいが、喧嘩なんてしないでくれ」
「……まあ、お前がそう言うなら、その、できるだけがんばるけど」

 なんてそっぽを向いて言う少女に、少年は満足げに頷く。
 阿婆擦れ――元々は悪く人擦れした悪賢い人間のことだったか。その意味でいうなら的外れもいいところだが、と少女を見てまた小さく笑う。まあ、相手もあまり意味なんて考えずに覚えた言葉をただ使ってみただけという気もするのだが。

「な、なんだよ。人のこと見てにやにやしやがって」
「いや、何でもない。すまない」
「……なんかお前、前よりよく笑うようになったか」
「そうか? いや、いい友達ができたからかもしれないな」
「あん? 病院でか?」
「ん……ああ、そんなところだ」

 言われて思い出したように少年はそう返す。そういえばそうだったと。
 隠し事がどうにも苦手な少年としては、いっそ本当のことを話してしまいたいという思いも大いにあった。だが、だからといって「竜の神様に呼ばれて異世界で魔王と戦っていた」などと説明するわけにもいくまい。違う病院に行けと言われてしまうだけだ。

 しかし、思えばもう随分と昔のことのようだ。戦いのすべてが本当に終わったのかもわからないままだったが、彼らは今どうしているだろうか。
 ふと思い出すのは仲間たちの顔。と、賢人の弟子という魔女にどこかの女帝陛下。なぜ特にその二人を思い出したかは定かでないが、ともあれと、遠い世界に想いを馳せて少年は空を仰ぐ。
 元気のいい声が響いたのはそんな時だった。

「若ぁ! お疲れ様です! お先に失礼しやす!」

 金髪のソフトモヒカンという気合いの入った頭を腰よりも下げ、頭以外は稽古を終えたばかりの門下生といった格好の青年が叫ぶ。
 がしがしと、頭を掻いて言葉を返したのは彼の言う「若」であろう少年ではなく少女のほうだった。

「だからその呼び方止めてやれっつの! お前らがそんなん言うからヤクザ一家とか言われんだろが馬鹿!」
「ああ!? 誰が馬鹿だこの馬鹿が! これは若に対するケーイだ! リスペクトだ!」

 ぎゃあぎゃあと言い合う、そんないつもながらに仲のいい兄妹に少年は肩をすくめて笑う。
 平和だな。と、彼の世界もまたそうであることを願い、少年は今日も日常を生きてゆく。
 同感だ。と、どこかで黒い騎士がそう、微笑んだ気がした――


-終-



SS第29弾は【阿婆擦れ】。
何にも知らずに見たらデジモン小説であることすらわからないっていう。
 
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