□2015年 夏期
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【残暑お見舞い申し上げます】


 手紙には風鈴とうちわの、涼しげな水彩画が添えられていた。

 物理レイヤの荒野で独り空を仰ぎ、手紙を手に彼は、ふむと小さく唸りを上げる。

 デジタルワールドの空に浮かぶリアルワールド球。電子基盤にも似た灰銀の機械球は、こちら側から観測されるリアルワールドの姿であるとも、その入口であるとも、あるいはリアルワールドそのものではなく、そこに張り巡らされたコンピュータネットワークの配置図であるとも言われている。
 リアルワールド球から絶えず降り注ぐサーチライトのような光線は光の柱と呼ばれ、人間世界のネットワーク上を行き交うデータがこの光によってデジタルワールドに流入し、その進化の糧となっている。
 とは言え、何も端末をクラックし、データを盗み出している訳ではない。そんなことが往々に行われては向こうも大騒ぎだろう。
 このシステムを構築したのが誰であるか、世界の秘密はいまだ謎だらけだが、その“誰か”はこの世界を人間から秘匿しようとしている節があった。流れ込むデータの多くは転送に失敗した破損パケットや残されたキャッシュ、そういったコピーデータがほとんどであり、大掛かりな干渉はまずもって行われることがない。

 だが、中には何の手違いか、オリジナルデータと思しきものが迷い込むことがある。
 転送先のアドレスを間違えたのか、回線やシステムに何らかの不備があったのか、友人や知人、仕事先に送るはずだった電子メールやファイルが、ボトルメールのように漂着してくることが稀にあるのだ。
 これも、どうやらその一つのようだった。

『残暑お見舞い申し上げます』

 ニホンゴという言語でそう書かれていた手紙は、調べてみたところどうも、あちらの世界で気温の高い時期に相手の健康を気遣って送るものであるらしい。
 だとするならネットの海に漂流してしまったそれは、誰かが誰かを想うその優しい手紙は、正しく届けられなかったことになる。
 そこまで考えて、彼はふと思うのだ。

 届けてやれないだろうか、と。

 無謀は百も承知だった。
 デジタルワールドからリアルワールドのコンピュータネットワークに干渉するなど、それこそ世界の理に手を加えるようなもの。究極体でも極限られたデジモンにしか為し得ぬであろう、まさに神の御業。まして彼は成熟期だ。
 師に話せば「面白い」と多少の興味は示してもらえたものの、「できたら教えてくれ」と特に知恵は貸してもらえず泳がされた。期待はされていないようだった。兄弟弟子にはただ笑い飛ばされた。
 それでも、届けてやりたいとそう思ったのだ。

 彼はまずファイル島へ向かうことにした。
 デジタルワールド中層レイヤの中心に位置するその島は、深層レイヤへ進むための玄関口でもあった。
 神の御業というならそれに等しいものへ頼めばいい。実に簡単な話だ。
 目指すはダイノ古代境の地下、火の壁を越えた更に向こう側。デジタルワールドの深層・ダークエリア上部に居を構える神に等しき“四聖獣”の領域。
 道中には魔術師であれば知らぬものなどいない、ウォータースペースの大図書館もある。四聖獣に会うことは無理でも何らかのヒントを得られる可能性くらいはあるはずだ。

 そう、はずだった。
 結論から言えばその旅自体がそもそも相当に無謀なものであり、彼は思いの外に序盤で挫折を余儀なくされることとなったのである。
 原因は様々あるが一言で言うなら、力不足であろう。
 誰かの役に立ちたいと、思う気持ちはあれどもただちょっと力が足りない。少しばかり見通しが甘かった。それだけの話であった。

 拳を握りしめ、唇を真一文字に結んで遠いリアルワールド球を見上げる。その遥かな空の彼方に顔も知らぬ宛名の誰かを思い、彼は、こう呟くのである。

「残暑お見舞い、申し上げます……!」

 悔しげに、届くはずなどないとわかってはいたけれど、言わずにはいられなかった。ぐぬぬと唸りを上げる。
 実のところ残暑見舞いの多くはただの社交辞令に過ぎないのだが、今まさに手にしているそれも例に漏れないものだったのだが、それはそれである。知らぬが仏である。

 だが彼は戦い続けることだろう。他でもない己が無力と。世の理不尽と。ゆけ、ウィザーモン。君の真心が届く、その日まで――!


-終-



第16弾は【残暑お見舞い申し上げます】です。
第1弾のあいつの続編でございます。
 
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