□5周年リクエスト小説@
7ページ/21ページ

◆V(2/2)

「と、灯士郎は……!?」
「今は自分の心配をしろ!」

 絞り出すようなマリーの問いに、返すアユムの言葉もまた先程までの余裕などない。
 どこへ逃げる? 開けた海岸に身を隠す場所などない。唯一遮蔽物だらけのジャングルは見るからに向こうのテリトリー。どこへ……どうやって……?
 くそ、と。己の頭の不出来とこの理不尽への憤りを込め、思わずアユムが吐き捨てたと同時。木々を切り裂く鋭い音とともに、ジャングルから鉛色の巨体が飛び出す。
 二人が振り返ればジャングルの真上に巨大クワガタと、その鋏に捕われた灯士郎の姿が見えた。枝と脚を支え棒に鋏の隙間でどうにか持ちこたえてはいたものの、どう見ても時間の問題でしかなかった。

「灯士郎っ!?」

 叫んだところで何がどうなるわけもない。ないけれど、マリーは叫ばずにはいられなかった。知り合ったばかりとはいえ目の前で人が、訳のわからない化け物に襲われているのだ。それも、自分を庇って。

 ぎりぎりと、低く響くのは誰の何が軋む音か。枝が裂けて折れ、灯士郎の手足も次第に鋏を支えきれずに縮こまっていく。
 アユムとマリーは逃げることも忘れてただその光景を見ることしかできない。

 ぎい、と、巨大クワガタが不格好に笑った気がした。
 ばぎん、と鈍い金属音が空を震わせる。

 思わず目を逸らし、腰が抜けたようにマリーは砂浜に座り込んでしまう。アユムもまた動くことさえできないでいた。

 ただ――その理由は、違っているようだった。

 声が、聞こえた気がした。
 知っているようで、知らないようで、どこか懐かしい声だった。

 砂浜に何かが落ちる。切断された人の首、だなんて想像が一瞬頭を過ぎったが、視界の端に見えた鉛色に、マリーははっとなって振り返る。隣でアユムが、空を見上げて呆けていた。

「……え?」

 ぎいい、と苦しげに呻き声を上げるのは巨大クワガタ。その鋏は片側が中程で断たれ、折れた鋏と思しきものがどういうわけか砂浜に突き刺さっている。
 巨大クワガタの鋏の、残る片刃の上には見知らぬ誰かがいた。

 騎士だった。獅子を模した黒い甲冑に身を包む、騎士だった。その手に槍を携え、巨大クワガタと対峙する。騎士の槍がクワガタの鋏を断ち切ったであろうことは、なぜだか一目で理解できた。
 時が止まったと錯覚するほどに、その一瞬、一場面が長く長く感じられた。やがて一呼吸ほどの間も置かずに時計の針が動き出し、もがき暴れる巨大クワガタの鋏から騎士が振り落とされる。騎士が宙を舞い、その、刹那。
 翼もない騎士がその身を翻す。瞬間に光が閃く。そして騎士はゆっくりと地へ落ちて――クワガタの巨躯が、一拍を置いて二つに裂ける。

 クワガタの屍は宙で風化するように黒い塵へと変わり、そのまま風にさらわれ跡形もなく消える。
 騎士はジャングルへと降り、すぐにその姿は生い茂る木々の影に隠れてしまう。

 マリーとアユムはただ、その様を呆然と眺めることしかできなかった。

 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ