-花と緑の-

□第五話 『花と縫包の乱 前編』
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シーンU:星屑の勇者(3/4)

 
「ヌヌ! ヌヌ! ストップ! おすわり! あたしの言うこと分かってるよね!? 分かってんでしょ!?」
「あひゃひゃひゃひゃ!?」
「ちょっとぉ! さっき会話できたでしょ!?」
「ひゃあぁーひゃっひゃっ!!」
「この……!」

 べろんべろんと舌を揺らし、明後日の方向を見据えて突っ走る熊に、さすがのあたしもそろそろ我慢の限界だ。こめかみ辺りに太く血管が浮かび上がったことさえ自覚できた。なんでこいつは力に溺れてなんかいるんだ。鏡を見ろ。そのビジュアルとキャラで起きるイベントかなぁこれ!?
 ふー、と大きく息を吐く。一度だけ、後一度だけ勘忍袋の緒を締め直すことにした。頭を振って、血管を引っ込める。ぽんぽんと、優しく頭を叩いて優しく呼び掛ける。

「ヌヌちゃん。最後よ。止まりなさい?」
「あっひゃあぁぁーーひゃっふぅ!!」

 ふふ、と微笑む。あらそう、そうなのね。そうきちゃうのね。よっこらしょい。あたしは身体をぐりんと半回転させ、左腕と左足を真っ直ぐに伸ばす。冷たく笑って、肘と膝に力を込める。

「歯を食いしばれ」
「ふぉ?」

 あ、そうれ。
 瞬間、渾身の肘打ちと膝蹴りが、熊の顔を前後から挟み打つ形で炸裂する。ともすれば貫通するほどに深々と突き刺さり、熊の顔がぐにゅりと変形する。鈍すぎる音が鼓膜を突いて、熊からくぐもった変な声が漏れる。

「ぽっ……ふぉおぉぉ!?」

 熊がふらつく。腕の力が次第に抜けていく。ここが好機と、あたしは熊の腕から這うようにして抜け出す。膝を熊の肩まで上げ、頭をわしづかんで肩の上で半立ちになる。そうして、駄目押しのもう一発をくれてやる。

「せいやぁっ!!」
「ぽふぉ!?」

 いつ投げ出されてもおかしくない不安定な足場から、熊の側頭部にドロップキックをぶちかまして反動で自ら跳躍する。ずどむ、と足が頭に減り込む嫌な感触と嫌な音がした。宙を舞う自分自身と倒れゆく熊がスローモーションに見えた。一瞬を置き、勢いよく転倒した熊が頭で斜面を滑る。ずりりりり、なんて音を立てながら。大根おろしみたいだな、と体中捻れに捻れてぴくぴくと痙攣する熊を冷めた目で見る。勿論自分もすっ転んだのでどっちもどっちな恰好ではあったが。
 あたしはゆっくりと立ち上がり、泥を払うこともしないままに熊へと歩み寄る。熊を静かに見下ろして、その肩にそっと手をかける。

「ヌヌ」
「……ぽ?」

 名を呼べば、まだちょっと正気には戻り切れていない感じの声が返ってくる。ふふ、大丈夫よ。これが最後だから。
 後ろから優しく熊の胴に手を回す。抱きしめるようにぎゅっと力を込めて――そして、雄叫びを上げる。

「いっぺぇえぇぇん……!」

 地鳴りがするほどに強く強く地面を踏み締めて、力の限りを込めに込めて熊を抱え上げる。血潮が熱くほとばしり、筋肉が唸りを上げる。そのまま上体を真後ろに逸らして、熊の脳天を岩盤に叩きつける。

「死んでこおぉぉーーーいぃぃ!!」
「ぎゃひぃん!?」

 高く高く、遠く遠く。悲鳴と轟音が響き渡る。
 それはそれは見事な、ジャーマンスープレックスであったという。
 
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