□第十六夜 琥珀のメモリアル
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16-3 非常の日常(3/3)

 
「それが“があるずとおく”か……」

 呆れた風に外れたことを言う、そんな声に私とマリーは揃って振り返る。マリーが笑顔で手を振り、私は小さく溜息を零す。

「おっはよー、ベル様」
「どこでそんな言葉覚えたのよ」

 窓から流れ込む潮風に乱れる髪を片手で押さえ、私は目を細める。インプモンは頭を掻いてはははと笑う。私の腰にも届かないちんちくりんが上目遣いに私を見上げた。

「おはよ。おう、陸が見えてきたぞ。昼過ぎには着きそうだ」
「え、もう?」

 言われて窓へ駆け寄る。窓から顔だけを覗かせて、進行方向へ目を凝らす。エルドラディモンが目指すその視線の先には――ただただ水平線だけが見えた。

「あー、ほんとだー」

 どこに? と問おうとした声はマリーに遮られる。振り向けば、隣の窓から危なっかしく身を乗り出すラーナモンの姿があった。人間の視力ではまだ見えないというわけか。なんかずるい。というか伝説の英雄の力を望遠鏡代わりに使っていいものだろうか。

「つーわけだから、早く飯食って支度しとけよ。ああ、デジモンじゃねえから安心しろ」

 そんなインプモンの言葉に思わずきょとんとする。少しを置いて、マリーと顔を見合わせ笑い合う。

「はあい、行こっかヒナ」

 人の姿に戻りながら元気に声を上げるマリーに「ええ」と短く答えて歩き出す。腹が減ってはなんとやら、か。こんな平穏も今のうち。恐らく数時間後には――

「どしたの?」
「何でも。行きましょう」

 いまだ見えない水平線の向こう。遠い戦場を一瞥し、私は少しだけ拳を握る。
 目指すはアポカリプス・チャイルドの新たな拠点と目される場所。この果てしない大海原を越えた最果ての地にそびえる“薔薇の明星”なる古城。ワイズモンは三大天使の居城だったと言っていたか。袂を分かったアポカリプス・チャイルドに利用されるとは皮肉な話だが。

 ふ、と自嘲にも似た小さな笑みが漏れる。この胸の高鳴りは何であろうか。不思議と恐怖も不安もない。戦いに愉悦を覚えてしまったわけでもなさそうだ。鼓動に反してどこか、穏やかな気分ですらあった。
 私はまだ、この感情の名前を知らない。ここにいなければ、いずれ知ることもなかっただろう。
 嗚呼、心が軽い。空気がやけに澄んでいる。そして――こんな時だというにすんなりと喉を通った焼きジャケもどきは、中々に美味だった。
 
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