□第十四夜 翠星のアジュール
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14-2 翡翠の覚醒(6/6)
違和感を覚える。自分の体が自分のものではないような、そんな感覚。これが紛い物の限界とやらだろうか。精鋭さを欠くことは自覚していた。地に足が着かない気がして、余りに軽い体は今にも吹く風にさらわれてしまいそう。
何かを、間違えているのだ――
「くっはははははあ! よもや消し飛んでしまった訳ではあるまいな!? あの程度の児戯で!」
高熱の毒霧に溶けた氷雪が蒸気となって空へと立ち上る。マリーのいた周囲一帯は跡形もなく蒸発し、もはやそこにはただ暗く深いクレーターが覗くだけ。
喉の鳴る音、胸の鼓動、息遣いが嫌にはっきりと聞こえる。静かな寒空に、ベリアルヴァンデモンの高笑いが響き渡る。
「血の色の眼を揺らし、死を貪るが如きケダモノの王――そう聞いていたが、やはり人違いだったようだな。人間を庇うなど……くくく、実に滑稽だ」
ふと、空を見上げる。蒸気に白む薄闇の空を。序曲は終わり、静寂にすら似た小さな音色が始まりを告げる。
「ああ、そうだな」
はたと、悪夢の魔王もまたようやく空を仰いで、僅かに目を細める。
「確かに、どうやら人違いらしい。何より誰より、俺自身が思い違えていた」
今になって理解する。違和の正体。ここにいるのはもう、かつての魔王・ベルゼブモンではないのだと。暴食の魔王は、やはり死んだのだ。
ここに煌めくは翡翠の超新星。まるで夕闇に浮かぶ一番星のように。この空の、ただ一人の王のように。黒曜の玉座が如き夜闇の翼を背に負って。
「これが、ベルゼブモンだと……?」
紛い物と、そう呼んだ張本人が訝しげにその名を呟く。
風を従え天に舞う翡眼の王は、右腕に携えた黒鉄の砲をおもむろに構え、小さく笑う。左腕に抱えたラーナモンを気遣うように、その所作は戦いの中にあるとは思えぬほどに緩やかで、穏やかで。
「二度も言わせるな。人違いだと、そう言ったはずだ」
砲口に黒の波動が渦を巻く。
そうだ、もはやこの身は暴食の魔王・ベルゼブモンなどではない。確かなことは――その死の果てにある、それ以上の存在であるということ。
「さあ、幕引きといこうか」
沈む夜よりなお暗く、昇る朝よりなおまばゆく。天上を巡る星のように、天下を統べる王のように。
放つ波動が瞬きの間に魔獣を貫く。その断末魔さえも呑み込んで――荘厳なる旋律が、世界のすべてを駆け抜ける。