novel 2

□年に一度の感謝の日
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「ベルナルド」

朝、優しい温もりが頭を撫でていった気がする。
甘い声に名前を読ばれて、額に触れた熱が心地良い。

「るき……」

呼んだ名前は無意識だった。
嬉しそうな笑い声が耳をくすぐる。

「ん……?」

開けようと震えた瞼に、柔らかな唇が触れた。

「まだ起きなくていい。ゆっくり寝てろ」

子どもにするように優しく、髪の毛をくしゃくしゃと掻き混ぜられる。
その温もりに安堵して、ベルナルドの意識はまた沈んでいった。
言葉に促されて、深く深く。どこまでも。


久し振りに見た夢は、ふわふわしていたけれど、家族揃って笑っていた。満ち足りて、胸がぎゅっと締め付けられて、泣きたくなるくらい幸せな夢だった。


***


「そろそろ起こすか」

良い感じに湯で上がったパスタにオリーブ油を混ぜながら、ルキーノは何気なくそう言った。

「やっとか?」

ジャンがとっておきの時に使う食器を並べながら笑う。今まで子ども達が同じ提案をしても、「まだダメだ」とルキーノは全て却下していた。

「ああ。そろそろ起こさないと夜に眠れなくなるからな」

それにもう準備は済んだ。
言外に含めて、ルキーノは悪戯っぽい笑みを浮かべて見せる。
今は午後1時半。
寝過ごすにもほどがある時間だ。
ベルナルドはまだ起きてこない。
普段朝に弱いと自覚して気を張っているだけに、弛めてしまうと自分では起きられない。家族だけが知っているベルナルドの意外な弱点。

「イヴァン! ジュリオ!」

ルキーノがダイニングテーブルを拭くように頼んでいた2人の名前を呼ぶ。

『なんだ?』

珍しくピタリと揃った返事があった。

「机は拭けたか?」
「ちゃんとふいたぜ!」
「………」

ルキーノの問い掛けに、イヴァンは手に持った布巾を高々と上げ、ジュリオはコクリと頷いてみせる。
2人から布巾を受け取りながら、「お疲れチャン」とジャンは笑って声を掛け、ルキーノは次の指令を彼らに与えた。

「じゃあ、次はベルナルドを起こしてこい。そしたら昼食だ」

頭を一撫でされると、すぐに寝室に向かって駆けていく。
よほどお腹が空いているのだろう。朝から動き続けていたのだから当然だ。
その背中を見つめてジャンは肩を竦めた。
すぐにパスタに向き合ってしまったルキーノは鼻歌を歌い出さんばかりに楽しそう。ちびすけ2人のことなんて何も考えていないに違いない。
俺が行くしかないかと判断して、ジャンは少しだけ食器を並べる動きを早めたのだった。





「べるなるど!」
「起きろ……」

呼び掛けて、ゆさゆさと体を揺さぶる。
イヴァンは腰の辺りを強く乱暴に。ジュリオは肩の辺りを優しく軽く。
ジャンならこれで必ず起きるのに、熟睡しているベルナルドはピクリともしなかった。

今までもベルナルドを起こしたことはある。
ジャンが修学旅行でいないのに怖い夢を見たり、トイレに行こうとして迷った夜、ベルナルドはそっと開けた扉の音に反応して、起きて抱き締めてくれた。
ジャンや兄弟と寝るのが1番だけれど、ベルナルドとルキーノの温もりに挟まれて眠るのも、嫌いじゃない。

だが、今日は違う。
いくら揺らしても、声を掛けてもベルナルドは瞼を閉じたまま――。

「まさかしんでるんじゃねぇよな?」

恐る恐るイヴァンが呟いた。
そっとジュリオと顔を見合わせる。

「……からだは、まだあたたかい」
「まだってなんだよ! ふぁっく!」
「………」
「………」

ゆっくりとベルナルドの体から手を離す。その仕草は殆ど同時だった。
重苦しい沈黙の中、ベルナルドの安らかな表情を見つめる。
微かな寝息は残念ながら2人の耳には届かない。

大人の助けを呼ぶべきだろうか――。
ジュリオがそう思った時、脳裏に浮かんだ救世主は現われた。





「ベルナルド起きたか?」

ドアが開きっ放しになっているのに、やけに静かな室内を覗き込むと、弟達はベッドの横で途方に暮れたように立ち尽くしていた。
ジャンの声に反応して勢いよく振り向かれた顔は、救世主を見つけたようにホッとしている。少し泣きそうにも見えるのは気のせいか。
見れば、ベルナルドはまだスヤスヤと寝息をたてている。

「全く仕方ねぇな」

苦笑してジャンはベルナルドの顔の真横に立った。普段あまり見ることのない寝顔を見下ろす。
ジャンが早く学校に行かなくてはいけない時も、ベルナルドはいつも必ず起きていて、「おはよう」と挨拶をくれる。夜も遅くまで起きているし、彼が眠そうなところは見ても熟睡している様子なんて滅多に見ない。
こうなったベルナルドを起こすなんて子ども達には無理に決まっている。

「ベルナルドー。起きろー」

とりあえず、声を掛けてみる。
普段かけている眼鏡がないだけで、ベルナルドの印象はガラリと変わり、まるで別人のよう。
いつも浮かべている笑顔がないとゾッとするほど冷たく見える整った顔は同年代より郡を抜いて綺麗だ。

「もう昼だぞー」

呼び掛けだけでは埒があかないので、肩を強く、小刻みに揺らす。脳が揺れそうな嫌な感じ。これはベルナルドも無視できなかったらしい。
眉が僅かに寄せられる。

「う、んん……」

僅かに高い、艶やかな声が漏れた。ベルナルドが顔を背けた拍子に、緑の緩やかなくせを持つ髪が流れて頬に広がる。その一筋が薄い唇に触れていた。
放たれた色気に、反射的にジャンは手を離す。
不覚にもジワリと耳が熱を帯びた。
見てはいけないものを見てしまったような嫌な気分が淡く胸に広がる。保護者のそういう面は子どもとしてはあまり見たくないものだ。

「……」

部屋が再び沈黙に満たされる。
キッチンから全ての元凶の足音が近付いてきていた。





「なんだおまえら? 顔赤くして」
「気にすんな……」

力なく笑って手を振るジャン。
その仕草に怪訝そうに眉を顰めてまだ起きていないベルナルドに目をやり、納得した様子でルキーノは笑った。
苦笑しながら喜びが滲んだ表情。全く仕方ないなと口にしていないのに聞こえてくる。
(いつまで経ってもお熱いこって)
彼らの辞書に倦怠期の文字はないだろう。
放たれるハートのオーラからイヴァンとジュリオを庇いながら、ジャンは苦笑する。
結局ルキーノに惚気られただけだ。

「俺達先に行くぜー」
「ああ。まだ食べるなよ」
「食わねーよ」

いくつだと思ってんだ。ぶつくさ呟きながら、ジャンはジュリオとイヴァンを連れて廊下へ消えて行く。
そちらを見もせずに、ベルナルドのふわふわの髪を指に絡めて遊んでいたルキーノは、そっと彼の耳元に唇を寄せた。

「起きろよ、ベルナルド」
「ん……」
「起きねぇと好きに食っちまうぞ」

言ってすぐに首を吸う。
辛うじて隠れる位置に赤い花。ベルナルドの瞼がパチリと開いた。

「痛……」

首を擦って顔をしかめる。
少し強く吸い過ぎたかもしれない。

「おはよう、ベルナルド」
「ルキーノ……」

ベルナルドはぼんやりと自分を覗き込んでいるルキーノの姿を見た。
いつもならまだ横で寝ているはず。
3秒後に覚醒して、その事実に気付いたベルナルドは顔色を変える。

「っ、今何時だ!?」
「2時近くか」
「2時!?」
「俺が寝てろって言ったんだ。覚えてないか?」
「………ああ」

頭に手を当てて、ベルナルドは納得した声で頷いた。

「なんで、そんなこと」
「たまには休息も必要だろう?」
「ルキーノ」
「いいから起きてこい。みんな待ってるぞ」

悪戯小僧の笑顔で急かす。
教えるつもりはないと伝わったのか、ベルナルドは起き上がって苦笑した。

「分かった。すぐ行くよ」


***


リビングに入ると、派手な破裂音が立て続けに聞こえた。
驚いて立ち止まる。
思わずつむった目を開くと、垂れ下がっていたカラーテープ。頭の上から被ったそれを取るのも忘れて、ベルナルドはテープの隙間から見える世界に息を呑んだ。

『いつもありがとう、ベルナルド!』

リビングの扉を囲むように立っている家族4人の笑顔。
その向こうに広がるリビングは隅々まで綺麗に掃除され、賑やかな飾り付けがされていた。
ダイニングからはフワフワと良い匂いが漂ってくる。
突然のことに惚けて、何も反応できなかった。

「ベルナルド! おれもいっぱいてつだったんだぞ! ジュリオも、ジャンもだ!」
「お、イヴァン、俺達のことも言ってくれんのけ? ありがとな」
「ジャンさんは、すごく、がんばって、そうじも、りょうりも」
「いやー、そんな言われると照れるぜ、ジュリオ」
「おれのこともいえ、くそ!」

2人の頭をポンポンと撫でてジャンが宥める。
反応を返さないベルナルドに小さな子ども達が不安になっている。
分かっているのに、言いたい言葉もあるのに口が全く動いてくれない。
こんな嬉しいサプライズ、予想すらしていなかったから。
ベルナルドはゆるゆると首を動かした。
楽しそうに目を細めている。彼に自然と助けを求めてしまう。

「ルキーノ」

戸惑いが溢れた声に名前を呼ばれて、ルキーノは笑った。

「喜べ」

簡潔明瞭な答え。
それでようやくベルナルドの顔にもつられたように満面の笑みが浮かぶ。

「ありがとう」

口から溢れたのは、心からの感謝だった。



その後、すぐに皆で食卓を囲んだ。
ルキーノとジャンが作った料理に舌鼓を打ち、イヴァンとジュリオからは幼稚園で作ったという折り紙のメダルをもらって、終始笑顔で会話が続く。

それはいつもより少し特別で、今朝見た夢と同じように、泣きたくなるほど幸せな日常だった。



END
10/05/28

年に一度の感謝の日
(I like mother)


壱夏様へ
15000hitキリリク「家族パロのルキベルのイチャイチャ」でした。
ありがとうございました!

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