novel
□「好き」に間違いはないでしょう
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その日、幼稚園に迎えに行ったイヴァンの機嫌は最悪だった。おまけに頬には引っ掻き傷。
困り顔の保母さんの話によると、同じ組の男子2人と大喧嘩したらしい。掴み合い、殴り合いでそりゃあもう大変だったとか。
勝ったのはイヴァンで、相手は頭に大きなこぶを作って大泣きだそうだ。
「……マジすか?」
俺は思わず目を丸くして保母さんを見返した。でも、冗談だとか嘘だとか、俺が望む言葉はちっとも出てこない。いただいたのは、溜息と、嫌味とも愚痴ともつかない言葉を2つばかり。
イヴァンは口が悪くてがさつだ。園児との小さな喧嘩は日常茶飯事。保母さんも困り果ててるんだろう。……だからって、本人がいる前でそういう事言うなんて神経疑うけど。
俺は横に立つイヴァンを見下ろす。合った視線はバッと逸らされた。唇を尖らせて、何か堪えるような顔。子どもらしくない。
……何かあったんだな。
問うように横に立つジュリオを見る。クイクイ学生服を引かれて、しゃがむと耳元でポソリと一言、教えてくれた。
おーけぃ。それが分かれば十分だ。
「すみません。ご迷惑おかけしました。相手の親には、明日また改めて親が謝罪します。……行くぞ、イヴァン、ジュリオ」
2人を促して、俺は保育園を後にした。
『イヴァンは悪くない、です』
ジュリオが俺に言うんだから間違いない。それなら、俺から聞くことなんて何もないさ。
道中、俺達は珍しく一言も話さなかった。イヴァンが、ちょっとでも刺激したら、すぐに爆発しそうだったからだ。
ジュリオはいつも通り俺と話したかったみたいで、何度か上目遣いでこちらを見上げてきたけど、首を振って我慢させた。
道の真ん中でイヴァンに爆発なんてされたら困る。スラング発生機になったら、こいつはしばらく止まらないんだ。
今日は学校帰りで片手に鞄を提げているから、2人を抱いて家まで走れない。
自宅に着くまでの時間が、いつもより数倍長く感じられた。
鍵を開けて中に入る。
誰もいない家はガランとして寒々しい。
「おかえりー、ジュリオ、イヴァン」
「ただいま、ジャンさん」
ベルナルドの代わりにそう言っても、いつもならぶっきらぼうでもちゃんと返ってくるイヴァンからの返事はない。
俺は片眉下げて苦笑して、ムッとした顔で何か言おうとしたジュリオを止めた。
「ほら、ジュリオ。アイス食おーぜ」
「はいっ、ジャンさん……!」
パアッと顔を輝かせちゃって、かーわいいの。
「イヴァンはどうする?」
靴を脱ぎながら聞くと、先に進んでいたイヴァンがくるりと振り返る。
あ、切れたな。一目で分かる怒った顔だった。
「……ジャン」
「んー?」
「ベルナルドとルキーノはそどむのなかなのか?」
「はぁ!!?」
今なんつった?
「おっ前どこでそんな言葉――!」
「おとこどーしできもちわるいんだろ!? おれのいえはかあちゃんがいなくてへんだっていわれたぞ!!」
「………」
「とうちゃんもかあちゃんもおとこなんてへんだって、みんないってんだ!!」
「……イヴァン、」
「ふぁっく!! ルキーノもベルナルドもきもちわる……っ!」
喚く唇を塞いだ。俺の唇で。
イヴァンの綺麗な水色の瞳が見開かれるのがはっきり見えた。まだ純な色だ。
触れるだけで、すぐに離す。本当に子どもみたいなキスだったんだけど、イヴァンにはショックが大きかったらしい。
「……な。な……………ふぁーっく! なにすんだ、ジャン! ありえねー!! ふぁっく! ふぁーっく!!!」
「イヴァン」
スラング発生機になったイヴァンの名前を静かに呼ぶ。目は逸らさないままで。
「今、俺とキスしたよな?」
「クソ、おまえがかってに――!」
「お前、気持ち悪いのか?」
「なっ……!」
絶句する。
揺れる瞳を見つめながら、もう1度、聞いた。
「気持ち悪いのか、イヴァン」
「……俺は気持ち悪くねーよ!」
少し泣きそうな顔で怒鳴る。その100点満点の答えに俺はニッコリ笑った。
「だろ? 俺とキスしても、イヴァンはイヴァンだ。まーったく気持ち悪くない」
鈍感なようで敏感な心を傷付けてしまったようなので、お詫びも込めてワシャワシャと髪の毛を掻き回してやる。
「ルキーノとベルナルドも同じだよ」
そう言うと、訳が分からないという顔をしていたイヴァンは小さく目を丸くして「そうか」と1つ頷いた。
「2人のために怒ってくれて、ありがとな」
「な、なんだよう……」
「良い子、良い子ー」
「こどもあつかいすんなっ! ……あ、その、よ」
「ん?」
「ジャンも……きもちわるくねーからなっ!!」
耳まで真っ赤にして、そんなことを言う。俺はパチクリと瞬きをして、堪らずに噴き出した。
思いっ切り、イヴァンを抱き締める。
「……ははははっ! ありがとな、イヴァン!!」
「わ、わらうなぁ! クソ!!」
もーこいつホント可愛いぜ!
好きだなあ。
暴れるのが面白くてギュウギュウ抱き締めてたら、グイと学生服を引っ張られた。
いつもより強い力。それで俺は我に返る。
しまった。
「……ジュリ、オ?」
「イヴァンばっかりずるい、です」
ジュリオが完璧に拗ねていた。
「ごめんな。ジュリオも好きだぞ」
「……俺にも、してください」
「ああ、抱っこな」
「キスです」
「っ!?」
そうきたか。
断ったら、泣くんだろうなー……。
そんな様子すら俺には可愛くて仕方ない。
「はいよ」
仰せのままにくっつけた唇は、イヴァンと同じでふにふに柔らかかった。
そのまま片手をイヴァンから離して、ジュリオの頭を撫で回し、2人一緒に抱き締める。
力を緩めたんだから逃げようと思えば逃げられたのに、嫌そうな顔をしながらも手から抜け出さなかったイヴァンはやっぱり素直じゃない。
「ジャン、さん」
とっておきのアイスをもらった時より数倍幸せそうな顔でジュリオが笑う。
「あーもうお前ら可愛すぎだ! 大好きだぜっ」
叫ぶと同時に、玄関の扉が開いた。
「ただいま……と、どうしたんだ?」
「ただいま。お、なんだか賑やかだな」
大好きな親達のおかえりだ。
俺達は顔を見合わせて笑い、それから彼らの言葉に笑顔で応えたのだった。
「おかえりー、ルキーノ、ベルナルド!」
「おかえり、なさい」
「……おかえり」
「好き」に
間違いはないでしょう
(大切なのは「好き」って気持ち、ただそれだけ)
09/12/10