novel 2

□会いたい午後
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どうしてこう書類仕事ってのはめんどくさいのかね……。
誰が見ても納得できるように、きめ細かく丁寧な文章を作成するのは、なかなか骨が折れる作業だ。誤字脱字にも気が抜けない。
だが、そんな煙草が恋しくなる仕事にも漸く終わりが見えていた。
もう1度ミスがないか点検したら、後は社内メールで上司に提出するだけ。終わったら帰れる。

職場を出る前に喫煙所に寄って行こう。
最近は本当に喫煙者の肩身が狭い。吸いたい時に吸えないことがこんなにも辛いとは思わなかった。イヴァンなんて口寂しいのを誤魔化すために棒付きキャンディーを舐めながら、煙草がねえとアイデアなんか出ねえよファックとよく切れている。
喫煙所に寄ったら家に帰って……ああ、ガムがなくなりそうだからストックを買っとかねーと。

そんなことをつらつらと考えていた時だ。

「ジャンカルロ」

上司に名前を呼ばれた。
見ると、片手に受話器を握っている。

「内線だ」
「……はい」

目の前の電話を取った。
誰からかは知らないが、わざわざ上司を経由してきた時点で人数は限られてる。

「お待たせしました。ジャンカルロです」

誰が何の用事があるのか知らないが、たった今まで考えていた予定が全てなくなったことだけははっきりとしていた。





「お待ちしておりました」

さっさと仕事を終わらせて、ベルナルドの執務室を訪れると、部下が扉を開けてくれた。
今日も黒スーツでビッシリ決まってる。
丁寧に頭を下げてくれるが、彼の役職は俺より高い。だから、そんな態度をとる必要は全くないのに、言ってもさっぱり止めてくれない。

「お疲れチャン」

普段のベルナルドに対する態度と同じでいいと言うので俺はそう声を掛け、ベルナルドの机へと足を進めた。

「よぉ、ベルナルド」
「やあ、ジャン。すまなかったね、わざわざ」

疲れた声と微笑が返ってくる。顔を見たのは3日ぶりだ。最近ずっとベルナルドは帰りが遅い。

「あらヤダ。お疲れなのネ、ダーリン」
「君を見たら疲れなんて吹き飛んだよ、ハニー。ありがとう」
「どういたしまして。こんなのお安い御用だ」
「ちょっと待っててくれ。これが終わったら休憩する」

促されて、俺は壁際に置かれたソファーに座った。ふかふかで沈み込むような柔らかさ。黒皮のソファーは、俺の仕事用の椅子よりよっぽど座り心地が良い。
俺の椅子もこんなんだったら良いのに……そう思って、すぐに打ち消した。
ダメだ。こんなんじゃすぐ眠くなる。
笑って、残り少ないガムを口に含む。

「何か面白いことでも?」
「いや、このソファーはいつも座り心地が良いなと思ってさ」

ベルナルドの執務室だからこそ許されること――俺はまるで自宅にいるように、ゆったりと寛いでいた。
会社内では他の兄弟とは敬語のやり取りが基本。仕事中にガムを噛むなんて、見つかったらすぐに上司から怒鳴られる。
でも、兄弟の執務室で、彼らと親しい部下しかいない時は、家にいる時のように接していい。
それは自然と出来たルールのようなものだった。

ガムを噛んで膨らます。
ベルナルドからの頼まれたのは、「仕事が終わったら俺の部屋に来てくれないか?」ただそれだけ。
疲れて癒しが欲しい時と本当に困り果てた時のSOSだ。

「いや、それは……他に案はないのか?」

真剣な顔で電話する横顔を見つめる。眉を僅かに顰め、思案しながら、手は的確にパソコンを操っていた。
流石だ。
俺には到底真似できない。

(こりゃあ、まだしばらく終わりそうにねーな……)

気長に待つか。
俺はソファーにより深く座り直した。
それを見計らったように、ベルナルドの部下が淹れたてのコーヒーを持ってきてくれる。

「サンキュー」

丁度喉が渇いていたところだ。
ニッコリ笑って、カップを受け取った。


その拍子にガムで作っていた風船が割れた。


「よし! それでいい。今言った方針で進めてくれ」

「あ」。そう声を出す前にベルナルドが動いていた。
電話口に叫び、力強くエンターキーを叩く。
……どうやら、今一瞬で重要な何かが2つ決まったらしい。
更に相手に2、3指示を出して、ベルナルドは電話を切る。肩の荷が下りたような清々しい顔をしていた。

一方、俺は落ち着いてなんかいられない。
眉にくっきり皺を寄せ、立ち上がる。

「ベールーナールードー?」
「ジャン、助かった! 悩んでた問題が2つも片付いたよ」
「『助かった』じゃねーだろ! なに運任せで大事なこと決めてんだよ!!」
「怒らないでくれ、ジャン。大丈夫だ。きっと上手くいく」

ベルナルドはご機嫌の笑顔で取付く島もない。
俺は呆れ半分、苛立ち半分で溜息を吐いた。

「こんなの一般社員が知ったら、怒り通り越して呆れるぜ。見捨てられるかもな」
「これも会社の切り札、ラッキードッグの実力の内さ」
「馬鹿言え」

俺が作った風船が意図せず割れた時、そこには何か意味がある――なんて、ジンクスにしたのは一体誰だったか。
確かにそのおかげで突っ込んできた車に轢かれずにすんだり、ギャンブルで買ったりしたことがある。あながち間違ないじゃない。
でも、だからって会社の将来に関わる重大な決定をバブルガムで決めるのはおかしいだろ!
……勿論ベルナルドのことだ。
しっかり準備は整えてあって、あとは決断するだけの時、背中を押すためにこのジンクスを利用してるんだろうが……俺の心臓に悪い。
今までこれで決めてきたことが全部上手くいってるからいいようなものの……。

「さ、帰るか」
「もういいのけ?」
「ああ、全部終わったんだ。こんなに良い気分は久し振りだな。ありがとう、ジャン」

伸びてきた長い腕にすっぽりと包まれた。
本当に機嫌が良いんだな。
耳を擽る笑い声と一緒にチュと口付けが額に降ってくる。
また子ども扱い……全く仕方ねえな、このおっさんは。

「お疲れ、ベルナルド」

眉を下げて、俺は笑った。
俺は何にもしてねえけど、喜ばれて悪い気はしない。
腕を背中に回して抱き締め返してやる。
きっと風呂に入る暇もなかったんだろう。いつも以上にベルナルドの匂いがした。
俺が好きな匂いだ。

「今日はこのまま食べに行こう」
「ん?」
「遅くなる予定だったから、夕食は作らなくていいと電話しておいたんだ。……ダメかい?」
「ダメじゃねーよ。何食う? ベルナルドが好きなもんでいいぜ」
「待ってもらったからな。今日はジャンが好きなものを俺が奢るよ」
「え、いいのか!?」
「ああ。お好きなものをどうぞ、ハニー」
「嬉しいわ、ダーリン。大好き!」

冗談交じりの会話を交わし、じゃれあいながらドアへと向かう。

「じゃあ後はまかせたぞ」
「かしこまりました。お二人とも、お気をつけて」
「ありがとさん。あんたもあんまり無理すんなよ?」
「ありがとうございます」

ふんわりと笑った部下に見送られ、俺達は執務室を後にしたのだった。



会いたい午後

(3日目で禁断症状……なんて、全く俺も重症だな)





10/02/24

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