作文〜3〜

□夏が終わる
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 夏が終わる



 夏の終わりと夏が終わるのは全然違うんだねって、言われた。

 いつだっけ・・オボエテルクセニ

 誰にだっけ・・ワカッテルクセニ


 そして、今年も夏が始まって、やがて終わる。


 23歳の夏は6年前の夏と違って気持悪い汗を毎日掻いていた。
 あの頃の俺は汗は流すものだと思っていた。そんなどうでもいい違いに気がついたのは高校卒業して、そう・・大学1年の夏が終わるころだった。

 憧れの甲子園球場がある土地に暮らすようになって5年。この土地を西浦の皆で目指していた期間をとうに越えてしまっている。

 憧れの土地に暮らしているのに、憧れの場所を訪れたことはあれから一度もなかった。
 俺はあそこに忘れ物をしているから。それを取り戻す方法をまだ思いつかない。

 気持悪い汗を掻きながら、満員電車に乗って毎日通勤する。
 気持いい汗があったことすら、もう忘れそうだ。

 ゆらりゆられてぼんやりしていた。
『次は甲子園、甲子園球場前です。阪神電鉄バスご利用の方はお乗換えです・・』

 この電車にゆられるのは初めてじゃない。何度も聞いたはずのアナウンスが今日は耳に残る。

『出口は左側です。』

 その時、俺は一歩踏み出した。
 
 空が青くて、雲は白くて、風なんて一つも無くて、間違いなく8月なのに、そこにはもう俺がよく知っている夏はなかった。

 ただ、ぼんやりとそこに向かって歩いた。
 
 『阪神甲子園球場』

 そこはあの頃と変わらなかった。佇まいも、匂いも、大きさも・・何も変わらなかった。
 変わったのは俺だ。
 
 風が動いた。

 ―阿部くん 負けちゃ・・った ね 
  オレ う 打たれ たけど・・かわ かわりたくないって
  最後まで思って・・そいで―

  三橋は泣き崩れて、俺の腕の中にいた。
 
 ―三橋のせいじゃねー。おまえは頑張った だ ろ―

  俺も泣いた。涙が止まらなくて、3年間の努力とか練習とかそんなのを思いだしたわけじゃなくて、三橋を胴上げ投手に出来なくてそれが悔しくて泣いた。

 ―阿部くん もう ここには 一緒にはこれない ね―
 
 確かにこないだろうな。それでも、そんなことねーって・・言おうとした。だけど言えなかった。三橋の顔が歪んで、崩れて、それなのに笑っていたから。

 ―夏が終わるな― 
 そんなことを言って、俺は雲一つない空を見上げた。

 ―夏が終わったんだね―

 ―そうだな―

 ―夏の終わりと・・夏が終わるのは全然違うんだね―

 どういう意味だ?
 聞き返したかったのに、俺は三橋の肩をもう一度強く抱いた後、無言で流れた汗をいっぱい吸い込んだ例の土の元へ走った。

 ―夏の終わりと・・夏が終わるのは全然違うんだね―

 そう、それが俺の忘れ物。ここに忘れてきたもの。


 日陰になる場所を探して、スマートフォンで三橋を探した。
 仕事中だろうな。いきなり電話してびっくりすっかな。でも、止められなかった。
 
 3回目の呼び出しで久しぶりに聞くあの高い声。
「あ 阿部くん?」
「よお」
「ひ ひさしぶ り だね」
「だな」
明らかに動揺している。もし逆だったとしても俺も確かに驚く。
「どしたの?」
「なぁ 三橋 今 俺どこにいると思う?」
「ふぇ?ど こ?阿部くん 関西 にいるって き いてる よ」
「そっか。ちゃんと俺の場所知っててくれてんだな」
「うぉ 泉くんに聞いた」
「三橋 俺 今 忘れ物取り来たんだ。もう遅いと思ったけど」
「阿部くん?」
「三橋 俺 今 甲子園球場の前にいるんだ」
「え?ど・・して?」
「夏の終わりだなって思ったら、電車つい降りちまった」
「夏の終わり・・」
「そう 夏の終わりだろ?もう8月もあと少しだ」
「そうだね。夏の終わりだね・・でもね阿部くん・・」

―夏の終わりと 夏が終わるのは―

 三橋の言葉を俺は奪った。

「確かに全然違うな!」
「え?」
「お前の夏はあの時終わってねーだろ?」
「阿部くん?」
「夏の終わりは毎年くるけどさ・・俺らの夏ってまだ終わってねーじゃん」
「阿部くん・・何?」
「試合に負けて、お前を勝たせてやれなくて、あの時西浦の夏、俺たちの夏は終わったんだなって思ってた。あの後、受験とか来て、三橋とゆっくり話す暇なくて・・いや、ぶっちゃけ俺から話しかけることなんて一つも無かったしな。
 お前が言ったこと。球場で最後にお前が言ったことな。ずっとずっと胸にひっかかってなのに聞けなくてさ。
夏は確かに毎年くるし、夏が終わって秋がくる。そりゃ間違いねぇーけど。まだ、終わらせたくねーって・・今でも思う。お前の球もっと捕りてぇし、もっとリードしてェ・・あいつらともっと野球やりてぇし・・ってな」

「でも阿部くんは・・」

 俺は夏が終わると同時に部活には一切顔を出さなかった。そして、三橋ともほとんど話すことはなかった。

「なんだろう。あの時に戻りてぇってのは年とったのかな?」

「阿部くん オレ たちの 夏 まだ終わってない?」
「三橋は 土 持って帰らなかったんだろ?」
「うん」
「3年の夏 だったのに?」
「うん」
「夏 終わってねぇーんだな。お前の中で」
「あのね。オレ・・今でも夢に見るんだ。投げた瞬間と快音。
そして、キャッチャーミットを上げて目を細めて空を見る阿部くんの顔」
 
 俺は何も言えなくなった。

「もう5年も経つのにか?」
「うん。もう戻れないけど、戻れないけど・・終わってなくて・・だから土 持って 帰れなかった。あとで、泉くんと田島くんが少しくれるってゆったけど、オレ断ったんだ」
「なんで?」
「阿部くんが・・いつか・・きっと オレ に オレと 夏 もう1回 忘れないでくれるって 思った から」
「なんで俺?」
「阿部くんが 終わってない顔 したから だ。 あの時、あのバッターが振り切った時、絶対ホームランってわかってるのに、阿部くんはボールの行方を見なかったんだ。キャッチャーミットを上げて、頭上の青い空を見たんだ。だから・・だから・・ね」
「あの時・・何考えてたかわかる?」
「え?」
「お前が1年の頃から練習してたストレートってやつがすっげぇーいいとこに決まるって確信して、俺のミットにズバッと入る音と感触まで想像できてた。
 そこを思いっきり叩かれて、飛んで行った。捕りたかったなぁ〜あのボールって思ってさ。あれは俺が受けるべきだったろって。 なんか、空見上げちまった。本当はボール追わなきゃいけねぇのにな。
 後悔? とはちょっと違うんだ。捕手としては失格だよな。でも、あのボールの先を追う気にならなかったんだ。
 そんで、お前の顔も見れなかった。悪かったな。ホント・・
 ・・俺の中であのボールを・・三橋の一番のストレートを受け損なった夏は・・終わってねぇな。ホントに・・」
「阿部くん」


「キャッチボールしてぇな。夏の間にさ」


 俺は唐突に話題を変えた。なんか、胸の奥がすごく熱くって、このままこの話しを続ける自信が無かった。

「オレも・・したいよっ」

 三橋の声が3トーンぐらい上がった。
 俺の両方の口角が上がったのが自分でわかる。
 なんだろ?今度は胸じゃなくて顔が熱い・・

「逢いたいな 三橋に」
「オレも・・逢いたいよ」
「今度の休み そっち帰る」
「オレが甲子園に行ってもいい」
「いや。ちゃんと・・そっちで夏を終わらせよう。俺たちの夏を・・」
「夏を終わらせ ないと だ ね」
「そんで 三橋・・」
「うん。又 新しい季節 が くる んだね」


 俺たちは電話を切った。見上げた頭上には「阪神甲子園球場」の白い文字と青い空。
 夏が終わって、又、来年夏がくる。
 18歳と17歳のバッテリーの夏がようやく終わって、24歳と23歳の社会人の夏の終わりがやってくる。新しい季節に、俺たちの関係がどう変わるかはわからない。でも、やっとただの友達になれるのかもしれないし、それ以上のかけがいのない親友になるのかもしれない。いずれにしても、あの頃とは違う関係に踏み出す。
 8月の終わりに・・俺の23歳の夏が始まる。
 おしまい

 2014/8/26
※久々なんでゆるくてすみません。
甲子園ネタを書きたくて・・



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