作文〜3〜

□卒業
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卒業



 埃っぽい部室の中で阿部くんとキスをした。
 そのキスをオレは忘れない。

 オレの頬にはひんやりとした阿部くんの手の感触。

「ごめん」と、言われて我に返った。
「オレがお願いした んだよ」
お互いが泣きそうな顔をしている。阿部くんのこんな顔を見るのは初めてで、オレはこんな顔の阿部くんを見れたことがちょっと嬉しかった。それを優越感というんだろうか?無理矢理でもお願いしたから見れた顔なんだと思うと、やっぱりちょっと嬉しい。

「いくら頼まれたって・・んなこと、しちゃいけなかったんだよな」
 その言葉を素直に捉える事ができない。
 だって、さっきからオレ達は1mmも動いてない。キスしたままの場所に、キスしたままの姿勢で、キスしたままの距離でオレと阿部くんは動いていないから。だから、その言葉をオレを素直に受け入れることなんてできなかった。
 阿部くんの手は相変わらずオレの頬の上から動いてないし、オレの手は阿部くんのシャツの裾を握ったままだった。
「オレがお願いしたんだよ」
同じ言葉を繰り返して、オレは精一杯笑った。

「もうしない」
 苦しそうな声と苦しそうな顔。そんな声もそんな顔もやっぱり初めての顔だった。当たり前だけど『男の人』の顔で、3年間の中の阿部くんとはチガウ阿部くんの顔。

 パタパタと部室の前を走る音がする。水泳部だろうか?サッカー部だろうか?オレと阿部くんには無関係の人たちが、オレと阿部くんを通り越して行くような感じ。
 それでも阿部くんは離れない。オレも離れない。

「オレから な ら してもいい?」

 なんでこんなに自分が積極的なのか、自分でもわからない。オレもいつもと違うオレがいる。余裕なんて全然ないのにドンドン阿部くんにぶつかっていける。おかしいくらい突進している。

 1年の時に比べて、お互い伸びた身長。それでもやっぱり数センチだけ阿部くんの方が高くて、その数センチの違いがオレと阿部くんの今の距離のような気がする。
 オレはその数センチを埋めるためにちょっとだけ背伸びをする。

 頬に触れた手は離れないのに、瞳がスッと逃げた。
 縮まった距離も又遠くなる。
「それもだめだ もう二度としない」
 オレは足の指の力を抜いて、又、いつもの高さで阿部くんの垂れた目の縁辺りを見る。

「そっか」

 だったら、せめて阿部くんから離れてくれればいいのに。キスをせがんだオレから離れるなんてこと出来ないとか全然わからないんだろうな。
 一人もどかしい気持ちを噛みしめていたら、阿部くんの喉がゴクンと音を立てた。

 

「3年間好きだったんだ」
 空気が突然変わった。身体が強張る。
 阿部くんの緊張が指から頬に伝わってくる。オレの頬の筋肉も身体と一緒でかたく強張る。さらに、唇の端がブルブルと震えて止まらない。
 見つめていた黒い瞳がうっすらと濡れている。
 急激な展開に思考がついて行かなくて、ただ阿部くんの言葉を震えながら待っていた。

 頬からゆっくり離れた手が、グッと首の後ろに回ってギュッと強く抱きしめられた。

「3年間 お前が 三橋のことが好きだったんだ」

 阿部くんの声が耳の奥にじんじん響いて、首の裏まで届いて、体中が熱くなる。
 オレが好きだったんだよ。オレが阿部くんを好きだったから、お願いしたんだよ。
―卒業式の日にキスしてください。オレの・・投手の最後の我儘ですお願いします―って・・


 『投手』って言葉を使ったのはずるいと思った。ずるいとわかっていて使った。
 『投手』と言った瞬間、阿部くんの顔は歪んだ。その顔を見てオレは確信した。だって、阿部くんはオレのお願いを絶対聞いてくれる。そう、『投手』の最後のお願いだから。

 なのに、今・・何が起きてるんだ?阿部くんが・・もう二度としないって・・さっきオレとキスしないって言ったのに、それなのに・・抱きしめられて、好きだと言われてオレはどうすればいいんだ。

 「もう も う しないってゆった の  は」
 声が震える。カタカタと身体も震える。嬉しいより、怖くて身体が震えた。

「『投手』の三橋にはしない」

「え?」

 オレのホッペに阿部くんのホッペがくっつく。ちょっと顎の所がチクチクして、痛みを感じながら夢じゃないって変な確認をする。
「投手のオレじゃなくて?」
「お前も 俺をちゃんと見ろよ。『捕手』の阿部じゃなくて・・ただの俺を見ろって」
「見てる っ 見てた よ でも だから でも・・」
動揺を隠せなくて、ずるさを隠せなくて、でもいつもずるいのは阿部くんじゃないかと勝手になんでも阿部くんのせいにしてまいそうになる。
「だったら・・だったら 三橋にキスしてェよ 卒業だからとか最後だからとか『投手』だからとかそんなんじゃなくて・・お前に 三橋とキスしたい」

 やっぱりずるいのは阿部くんだ。オレがあんだけいっぱいいっぱいで迷って悩んでお願いしたいのに、全部もっていかれる。ずるいな・・阿部くんは。きっと見えないところでガッツポーズしてるんでしょ?今もずるい意地悪な顔してるんでしょ?

「阿部くんはずるいな・・」
「お前の方がずりぃだろ?」

 そう言うと、阿部くんは一度身体を離してまたオレの頬に手を添えた。
 阿部くんの手はさっきと違ってほんわか温かかった。温かかったからなんだかジンときてオレは全部許してしまった。

「やっぱりずるい」と、言いながらオレはゆっくり目を閉じた。

 ひんやりとしたロッカーを背中に感じながらオレたちはキスをする。
 時々薄く開けた目の中に飛び込んでくるのは阿部くんの黒い髪と田島くんの忘れもののくしゃくしゃなタオル。捕手じゃない、オレの阿部くんが目の前にいる。
 転がったボール。無造作に置かれた1本のバッド。薄暗くて、汗臭くて、湿度が高い部屋。
 それでも3年間、オレたちはここに毎日のように足を運んだ。
 
 もう二度とこの部室を訪れることもない。

 投手と捕手の最初で最後のキスをここでして、想いが通じあった最初のキスを刻む。
 たくさんの思い出の部室にさよなら。オレたちは卒業する。高校生、部活から、この部室から・・それから投手と捕手の関係から・・今・卒業します。


おしまい

14/3/10



 



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