つれづれうた

□歌
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色にみえ袖にもあたに散らすなよ
しのふの露は置あまるとも
    (後小松院御百首・忍恋)



「顔色に出してやたらに袖に散らさないようにしよう、忍び泣きする涙の雫はこらえ切れないとしても」といったところでしょうか
「散らすなよ」という言葉遣いがいささか乱暴に見えますね



後小松院が数え年の6歳で天皇に即位した頃は朝廷が二つ存在するという、日本の歴史においては特異な状況が続いていました
南北朝時代ですね
どうして朝廷が二つあったのかを説明すると長くなるので、知りたい人は葉月丈二先生に聞いてください(笑)

後小松天皇は京都御所に内裏があった北朝の帝でした
一方対立していた南朝は吉野山に行宮がありました
平安時代からの御所にいるのだから北朝の方に正統性がありそうですが、神武天皇から続く歴代に数えられるのは南朝です
あくまでも第99代天皇は後亀山天皇で後小松天皇は即位した当初は北朝の第6代という立場でした
どうしてそうなるのかは葉月丈二先生に……(苦笑)

この二つの朝廷が一つになったのが後小松天皇16歳の時です
北朝に付いていた将軍足利義満が後亀山天皇を言いくるめて後小松天皇に譲位させることに成功したのですね
晴れて後小松天皇は第100代天皇となったのです

さて、この時に結ばれたのは単に二つの朝廷だけではありませんでした
お年頃の後小松天皇は恋に落ちたのです
相手は南朝側の公家だか武家だかはっきりはしませんが、とにかく後亀山天皇の近臣の娘さんです
身分は決して高くなかったでしょう、しかし愛の前にそんなものは関係ありません
後小松天皇は彼女をただただ寵愛しました

ところが、それを面白く思わない人間が出てきます
「あの女は所詮は南朝の人間だ、懐刀を抱いて天皇の命を狙っている」
そんなデマが内裏に広がり、二人の仲は裂かれてしまいました
勿論、天皇は下らないデマを信じてはいなかったでしょう
しかし、何れにしてもこのまま側に置いていれば、それこそ彼女がどんな仕打ちを受けるか分かりません
天皇は彼女を内裏から出すことにしました



と、以上を踏まえて、もう一度掲出歌を見てみましょう
すると「散らすなよしのぶの露は」の部分に「よしの」という言葉が隠れて見えますね
「散らすなよ」という乱暴な言葉遣いもこの為だと考えればすっきりしませんか?
そして何より忍恋の相手が「よしの」に関係のある女性だということです
後小松天皇の周りでそんな女性は恐らく一人しかいなかったでしょう
何せ「よしの」は敵方ですから……

因みに、吉野に所縁のあるその女性は内裏を追われた時に、後小松天皇との愛の結晶を身籠っていました
隠棲地の嵯峨で生まれたその子供こそがあの一休さんです
そう、後小松天皇は一休さんの父親なのです
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