つれづれうた

□歌
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一目見し君もや来ると桜花
けふは待ち見て散らば散らなむ
         紀貫之
  (古今和歌集・春下・78)

〜一目見ていったあの人がまた来てくれるかも知れないから、桜の花よ、今日だけは待って(あの人が来ない時は)散るならば散ってしまえばいい〜

「君」を二人称と見て「あなた」と訳している方も多いですが、後半が明らかに桜花への呼び掛けになっているから、やはり「あの方」と解釈すべきでしょう

詞書には「あひしれりける人のまうできてかへりにけるのちに、よみて花にさしてつかはしける(互いによく知っている人がいらっしゃって帰った後に花に添えて送った)」とあります
ともあれ、桜に呼び掛けながらも一目見ていった人に「また来てくれないかなぁ」と気持ちを伝えているのですね

さて、『古今集』の部立てでは春に入っていますが何となく恋を歌っているようにも感じませんか?
でも「あひしれりける人」は男性です
久し振りに会えた知人に「もっと会おうぜ」と言っているのか……



ところで紀貫之と言えば『土佐日記』
「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」という書き出しのあれです
これが初めて読んだ時から気になっていました
日記と称するからにはノンフィクション性が強いと思われるのに男性である貫之が「男の人の真似をして女の私も書いちゃうもん」と言っているのです
差し詰め現代で言えばネカマのブログですね

どうしてわざわざ女性の振りをして書いたのでしょう
「心情をさらけ出した日記をかな文字で書いて公表するのは、役人で男性という立場のままでは躊躇われたから」ともっともらしい説明もされていますが、だったら何も新奇なスタイルの日記にしなければいいだけの話です

『土佐日記』を書いた時に紀貫之は60歳を超えていました
伊達や酔狂で異性の振りをする年齢ではないでしょう
もっと深いところで性別を超越したいとの想いがあったに違いありません

紀貫之はトランスジェンダーではなかったのでしょうか
つまり女性の心を持っていたのです

そう思って「一目見し」の歌を読むと、女性の心で友人に恋をしている貫之の心情がにじみ出ているようにも感じられませんか?
「叶わぬのならばいっそ散ってしまおう」と──

因みに「あひしる」は「互いによく知っている(人)」の他に「情を交わした(男女)」という意味でも使われるようです





散りぬれば一目も見ずや桜木を
今日の嵐に枝残るとも
      たけ本ぴん麿
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