小説《カコベヤ》

□憧憬・3
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 《憧憬・3》



「僕は嬉しいよ」
「なんで?」
「こうやって、天羽さんと一緒に日野さんを讃えられるから」

そういう僕に天羽さんは心底呆れたような声を出した。

「はは…加地君、私別に香穂を讃えてるわけじゃないんけど」
「それでもやっぱり僕は嬉しい」

日野さんのことを語れるのは僕にとっての幸いだから。

「まあいいけどね…」

そういいながら、天羽さんは彼女との他愛もない出来事を楽しく話してくれる。
僕が日野さんのことを聞きたがっているからなのは勿論なんだけど、天羽さんの語りは飽きることがなかった。

実際、天羽さんは聡明な女性だと思う。
おせっかいなところや、なんでもかんでも首を突っ込みたがるきらいはあるけど、それは面倒見がいいのと紙一重的。
放っておけない、が正しいのかな。
案外ほだされやすいのかも。

そしてね、天羽さん。
僕は結構羨ましかったりするんだよ。

そんなことを考えていたら、狙ったようなタイミングで教室の扉が開いた。
反射的に二人でそちらの方向を見て、即座に納得する。

『噂をすれば影が立つ』
僕の心の中で噂してただけだけど。

放課後の教室に同級生の男と二人。
気にしない方が嘘だよね。

「やあ、月森」
「どうしたの月森君、ここ普通科だよ?」

天羽さんは立ち上がって、月森の側に駆け寄る。
驚いたように問い掛ける彼女に、月森は歯切れの悪い感じで答えた。
勿論、僕にちらりと視線を送るのを忘れない。

「…ちょっと、その…頼まれ事があって」
「そうなんだ」

鈍いね、天羽さん。それとも、フリ?
月森の眉間に皺が寄ってるのも、僕をさりげなく牽制してるのも、全ては君の為。
さっき土浦が音楽科の練習室に行くのを僕らは二人、手を振って見送った。
大方、土浦が月森に話したに違いない。
実際土浦は、月森と天羽さんが付き合ってるのに気づいたとき、若干畏敬のこもった声で呟いていた。

『月森、あいつ案外、度胸あるな…』

土浦にしてみれば、天羽さんのようなタイプは恋人としての範疇には当てはまらないらしい。
珍しく神妙な面持ちだったから、ちょっと面白くて印象に残ってる。

「そろそろ帰ろうと思うんだが、君は?」
「了解了解、私も帰るよ。そうだ!少し時間ある?そしたらお茶していこうよ」

勢いに押されて、やや月森が劣勢。

「ああ、構わない」
「駅前のさ、カフェに新メニューが出たのさ。あとこの間のCDありがと!なんかすごく好きかも」

その言葉に月森はあまり見たこともないようなやわらかい表情で微笑んだ。

「よかった」
「よし、じゃ帰ろっか」

そこまで話を纏めると、漸く天羽さんは僕の存在を思い出したようだった。

「ゴメン加地君、私帰るよ。続きは明日ね」

そう言ってウインクをする。

罪作りな人だね、君も。
月森がどんな顔をしているのかも知らないで。
だから敢えて僕は月森に向けて答える。

「どうぞ、ごゆっくり」

ひらひらと手を振って立ち去る二人に送る。
そっと席を立って、廊下に小さくなっていく二人を見送った。



天羽さん。
僕は君が、君達が羨ましかったりするんだ。

一見、対極にいるかのように思える二人。
けれど月森には君が、君には月森が必要だった。
それは僕には、お互いがお互いを補いあっているからのように思えてならないんだ。

僕が日野さんのことを想う気持ち。
それはいつか、天羽さんと月森のように、互いが対等な立場で思い遣れるものになる日が来るのだろうか。
――きっと、それはまだ程遠い。

「人間って貪欲だ」

思わず自嘲する。
近づけば近づくほど、欲望が深くなる。
見ているだけで、満足しているはずだったのに。


君を想い、君を敬愛する。


僕はまだ、それでいい。
もうしばらくは。
――それが、いい。


END




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