小説《カコベヤ》

□憧憬・2
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 《憧憬・2》



その人を初めて見たのは春だった。
入学式、会場が分からずに迷子になりかけていた僕に、声をかけてくれた人。

「おーい、普通科の制服着たそこの君、入学式始まるよ」

いかにも面倒見がよさそうな上級生らしい口調。

「うちの学院、広いからねぇ」

ウェーブのかかった髪を一つに束ねた、ハキハキした口調の女の先輩だった。
お礼を言うと、「当然のことだからいいんだよ」と笑った。

その先輩を次に見たのは、それからすぐの数日後。
カメラを手にサッカー部を追いかけていた。
彼女は普通科2年、報道部、天羽菜美。普通科に在学して一ヶ月もすれば、知らない人はいないほどのある意味有名人だった。
気にしていると、天羽先輩との遭遇率は一年の僕でも高い。
いつしか、天羽先輩を探すのが僕の癖になっていた。

うちの学院には普通科の他に音楽科があって、ここから有名な音楽家になる人も少なくないらしい。もっとも、僕達普通科には関係のない世界だ。

入学して数ヶ月後に始まった学内コンクール、自分には縁のないはずのそれに興味を持ったのは、報道部の記事だった。最後に小さく書かれたインタビュアーの名前。『天羽菜美』。
読んでいて、コンクールを聴きに行かずにはいられないような記事だった。
これを天羽先輩が書いてるんだ。
一学年しか違わないのに凄い。


コンクールが終わって、学院にも慣れてきたころ。
僕は相変わらず休み時間には天羽先輩を探してしまう日々だ。
一日に一度は先輩を見かけないと落ち着かない。

「ちょっと購買行ってくる」

クラスメイトにそう告げて席を立つ。
午後からの物理、ノートがもう終わりそうだった。
購買に行けば、あわよくば天羽先輩に会えるかもしれない。

お昼のピークを過ぎたエントランスは、人がまばらだった。
ノートを買って時間があるからなんとなくベンチに座る。
一緒に買ったジュースを飲みながら待ってみる。
音楽科の制服を着た生徒も多い。
僕らは音楽科とは普段は全く交流がない。
だから普通科と音楽科が混在するエントランスは少し不思議な感じがする。

「あれ?」

座ったベンチの近くに観葉植物があって、それ越しに音楽科の制服が見えた。
この人は知ってる。有名人だからだ。
コンクール参加者の月森さんだ。
ヴァイオリンが物凄く巧いのにあわせて、凄く整った顔立ちをしているもんだから、うちのクラスの女の子達まで騒いでいた。
だからよく覚えてる。
それにしてもこんなとこで何してるんだろう。
少し周りに視線を動かしたりして、誰かを待ってるみたいだった。

その時、軽く小走りするみたいな靴音がこちらに近づいてきた。

天羽先輩だった。
今日の僕はツイてるんだと思う。

何しにきたんだろう。
僕みたいに購買かな。

すると天羽先輩は僕の目の前を横切って、すぐに立ち止まった。

「ゴメン、月森君。遅くなっちゃった。待ったよね?」

――え?

天羽先輩は月森さんの前で立ち止まった。

「いや、俺も今来たばかりだ」

違う。かなり前からそこにいたはず…。

月森さんは持っていたCDらしきものを天羽先輩に渡した。

「わーい、ありがとう。なんか、不純な動機のにわかファンなのにごめんね」

この二人の組み合わせが意外すぎて、つい聞き耳をたててしまう。

「構わないが、珍しいな」
「月森君が弾いたからね、だから気になったのさ」
「それは…どうも」

躊躇いがちにそう言った月森さんに、天羽先輩はあっけらかんと答えた。

「そうだよ、だって好きな人のことは知りたいじゃん」

一瞬、月森さんは固まった。

「…そう、か」

そう呟いた月森さんの耳まで赤くなっているのを、僕は見た。

「ちょっと…、そうこられると恥ずかしいんですけど」

その時の月森さんがどんな表情をしていたか分からない。
けれど。
天羽先輩がとても嬉しそうに笑うのを見て、僕は自分の気持ちを初めて知った。
ああ、好きだったんだ。天羽先輩のこと。だから見ていたかったんだ。

別の校舎に立ち去る二人を見ていて、ふと思った。

きっと天羽先輩には、天羽先輩だから、目指すものに向かっている月森さんが似合っているのかもしれない。
そのくらいでないと釣り合わない。

そう思うと悔しいとか、妬ましいとかいう気持ちは起きなくて。
寧ろ、あの立ち去る後ろ姿を羨ましいとさえ思った。
何か自分にも先のビジョンが見えてきたら、いつか僕もあの二人のようになれるだろうか。
それなら、頑張ってみたい。
その風景を手に入れるために。

感傷と羨望とを織り混ぜた気持ちの中にそこはかとない希望のようなものがあって、それを早く見たくて僕はどこか待ち遠しい気持ちになっていた。


END




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