第二幕
□03.妥協点(前編)
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ロンドンの街並みをジリジリと焼く夏の太陽も、グリモールド・プレイス12番地には無縁だった。
マグルの住居の中に隠れるように作られた豪邸は細長く、そのほとんどが外に面していない。
壮大なマントルピースも、繊細な模様が施された家具も、美しい壁紙も、明かりを灯さなければたちまち闇に飲み込まれる。
夜を待たずして、家主の名前にぴったりの、真っ暗闇の完成だ。
「まだ2日かよ」
外の光を取り入れることができる数少ない部屋のうちの1つで、シリウス・ブラックは舌打ちを繰り返した。
新学期まであと30日もある。
早いところ用事を済ませてこの黒い檻を抜け出さないと窒息死してしまいそうだ。
「しっかし俺も物好きだよな……」
7月中、シリウスはジェームズの家にいた。
それが今は、連れ戻されたわけでもないのにブラック邸にいる。
理由は2つあった。
1つは買い物だ。
新学期を迎えるにあたり、5年生用の教科書を買い揃えなければならない。
叔父のアルファードが「必要があれば今年も」と手紙をくれたが、シリウスは彼の親切な申し出を断った。
その原因ともなったもう1つの理由が、エメリー・ウィルキンソン。
同級生の彼女は数ヶ月前からシリウスの弟であるレギュラスの恋人をやっている。
協力をしたときはどうせすぐに別れるだろうと思っていた。
いかんせん思想が違いすぎる。
しかし衝突があったにも関わらず彼らはまだ仲良くやっている。
「何が“わがままを聞いてやりたい”だよ」
あのときは雷に打たれたかと思うほどの衝撃を受けた。
その後2人の話を盗み聞きしに行ったわけだが、2人の関係は当初シリウスが考えていたものとは違った方向へ動き出していた。
「兄さんの言うとおりです」
聞こえた第一声にまず驚いた。
てっきり自分の要求を押し付けると思っていたのに、レギュラスは「やめるなら今です」と別れを提案していた。
「今ならまだ、僕はあなたを手放せるかもしれない」
“かもしれない”という表現が既に手遅れであることを示している気がしたが、それでもレギュラスのほうからエメリーに選択権を与えるというのは、シリウスの知るレギュラス像では考えられないことだった。
「もしあなたが“ブラック家のレギュラス”と付き合う気があるなら、夏休みに改めて両親に紹介します。今度こそ、よく考えてから結論を出してください」
去り際に残した提案が、今でも耳にこびりついている。
マグル生まれのリリー・エバンズを親友に持つエメリーが純血主義になるはずがない。
それはわかっているのだが、『否定もしない』と言っていたのがひっかかる。
シリウスがレギュラスに「一度友人になったら生涯友人だ」と忠告したのはちょうど1年前。
予想を覆し、晴れて恋人になったら、どうだろうか。
「……世界を敵に回しても愛を貫くものだとか思ってないよな?」
彼女の中の恋人像がどんなものなのかシリウスは知らない。
ただ、今までの傾向を見る限り、世間一般のそれとずれている可能性が非常に高い。
言葉だけなら美しく聞こえる愛の形を妄信していても不思議ではない。
それを確かめるために、会うなら買い物のときだろうと見当をつけたあげく、早まって1週間前に帰宅してしまったのだから、ジェームズにニヤニヤされても文句が言えない。
「んだよ、雨かよ」
窓の桟をポツポツと雨粒が叩く音でシリウスの意識はブラック家に戻った。
どこかでクリーチャーが魔法を使ったのだろう。
キィッと蝶番が軋み、ガラスが外と内を分けた。
シリウスはため息をついて立ち上がり、閉じたばかりの窓を開け放った。
風が黒髪を弄び、滴が高級な絨毯に黒いしみを作る。
今にもガラガラ声の小言が聞こえてきそうだったが、シリウスは気が済むまでロンドンの湿った風から微かな夏の匂いを探した。
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