番外編
□7-18.5 医者の不養生
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スネイプはかつての地下牢教室を通り抜け、昔自分が使っていた隣室に入った。
埃っぽい室内に舌打ちをし、しもべ妖精を呼んできれいにさせる。
布団ごとベッドに下ろすころには、あれこれ呻いていたユイはすっかり静かになっていた。
呼びかけても返事はなく、ぴくりとも動かない。
(寝たのか?)
まさか窒息しているのではあるまいなと布団に手をかけたところで、妙な背徳感に襲われる。
何もやましいことはないのだが、順番を間違えたせいで意味もなく緊張し、背後を確認してから上部をめくらなくてはいけなかった。
「……なんだその格好は」
ベッドで寝ていたはずのユイは制服もローブも着たままで、マフラーまで巻いていた。
水分すらろくに取っていないのか荒い呼吸を繰り返す唇は乾燥でガサガサで、頬は赤く燃えるように熱い。
眉根をよせ、脈を測ろうと手を取ったところでふと銀の腕輪に気づく。
それは以前チラリと袖から覗いたときに予想したとおり、スネイプが誕生日プレゼントに貰ったものと同じものだった。
「……」
ズキンと軋んだものに気づかないふりをして、薬を作るために教室に戻る。
その間の世話はしもべ妖精に任せた。
これ以上自分はユイに触れない方がいい気がした。
*
(どんな生活をしていればインフルエンザウイルスに冒されるというのだ)
解熱剤と鎮痛剤を並行して作りながらユイの言葉を思い返し、イライラが再発する。
インフルエンザはマグル界で流行する病気だ。
魔法使いには無縁というほどではないが、ホグワーツ城にいてかかるような病気ではない。
(いま城外に出ることがどれほど危険なことかわかっているのか?)
城内が安全というわけではない。
しかし生徒たちはカロー兄妹の監視下にいても大事に至らずにすんでいる。
そのぶん誰がわりをくっているのか。
考えるまでもなく明らかだというのに、その上さらに秘密裏に危険を冒しているなど許し難いことだ。
(なぜみな重要なことを我が輩に隠す……)
金曜の夕方にスネイプはユイと顔を合わせている。
しかしそのときユイは何も言わなかった。
いつも通り報告をし、何事もなかったのように帰っていった。
ろくに顔も見ずに追い返した自分にも非があるとはいえ、体調不良すら訴えられない程度の信頼関係しかないのかと思ったらむなしくなってくる。
(ダンブルドア、あなたはこれでも順調だとおっしゃるのですか?)
立ち上る湯気に、策士の顔が浮かんだ。
彼は以前も同じようなことを言っていた。
まるで傷つくことも計算のうちだとでも言いたげな態度に腹立ったのは1度や2度ではない。
自らを殺させ、ハリー・ポッターを良いタイミングで死なせるために守ってきた彼が思い描く結末で、彼女はどうなっているのだろうか考え始めると胃が痛くなる。
鍋をかき混ぜながらギリギリと奥歯を噛みしめている自分がいることに気づき、ハッとして火を消す。
余計なことは考えるなと頭を振り、完成した薬を持って部屋に戻る。
「薬だ」と声をかけるが、ユイはわずかに唸って身じろぎしただけだった。
「寝ているならそのままでいい」
薬を横に置いて額に手を当てたところで、ユイが重そうな瞼を持ち上げた。
うわ言のように名前を呼ばれ、目尻に涙を浮かべられると熱からくるものだとわかっていても動揺する。
――希望の光なら君にも見えているはずじゃ。
ふいにダンブルドアの言葉が蘇ってきた。
風邪を引いて弱りきっているというのに、そこに宿る光は失われていない。
「寝ていろ」
瞼を閉じるように手を下に動かすと、ユイは小さく笑った。
『教授の手……冷たくて気持ちいいです』
「それだけ高熱だということだ、いま氷枕を準備させている」
『えー……教授の手びほうがいいですー……』
もぞもぞと出てきた手につかまれ、身動きが取れなくなる。
振りほどこうと思えば簡単にできたが、スネイプはそうしなかった。
(戦いが終わったら、か……)
それはダンブルドアに聞かれる前から考えていたことだ。
ユイに気持ちを伝えるのか。
リリーを死なせ、その息子すら死なせようとしている自分にその資格はあるのか。
「ユイ……」
“時を待たずして”の“時”とはいつだ。
その時ホグワーツは落ちるのか。
生徒は――ハリー・ポッターはどうなる。
聞きたいことは山ほどあったが、どれも口に出したことはない。
『なんですか?』
「なんでもない。早く寝たまえ」
スネイプは小さな手を握り返した。
共に戦えるただ1人の仲間の手を。
まるでそれがお守りであるように、静かな寝息が聞こえ始めてからも、ずっと握りしめ続けた。
Fin.
→P3:あとがき
→P4:おまけ(起きてたら)